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全米が泣いてしまうなら

自慢ではないけれど、自分は一度にお米を4合食べられる
全盛期は8合、それから衰退して4合だ

お米一粒にはなんか、結構多い神様がいるらしい
八百万かなんか、忘れてしまったけど
それだけいるのならば、こちらも然るべき敬意を払わなければならない

たとえ一口でペロリ、とかだとしてもだ

ここまで読めば「全お米が泣いてしまうなら」
とかいうオチは容易に想像つくけども、
お米が泣くわけはないので
そのオチは却下である

言葉にそんなしょうもないお笑いの責任を持たせてしまってもしょうがないからだ

読み方を変えて、「ゼンマイが泣いてしまうなら」
なんてのは

まぁ結構いいセンいってるんじゃないか
たぶん

M1.長澤知之「左巻きのゼンマイ」

言葉の使い方や、
好きな音楽

好きな人にまでその人の個性は溢れ出るけど

社会を見てもらえれば分かる通り
一筋縄では行かないのが人と呼ばれて
かく言う一筋縄では行かない者の一端を
担っているのが自分であり、
あなたでもある

一筋縄に巻かれて
1つにならないことを良しとする風潮もあれば
悪しとする風潮も必ずあって
どちらと言えども
否定する人間でありたいわけではないと言うのは
最近ふと思ってしまうようになった

例えて仕舞えば夏隣
蝉声が好きと言われても
掻き消した言葉、その代わり
確かに良いと言えるように


例えて仕舞えば置き換えて
全米が泣いたあらすじの
花火なんかだと、ありきたり、でも
確かに良いと言えるように
混じって少し泣けるように


とか、いいセン行ってそう

M2.aiko「花火」

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