I want you want

先日母と旅行に行き、色々思ったので書く。

結婚

出雲大社に行ったのだが、そこで母が良縁御守を買ってくれた。良い人との御縁がありますようにって。あと白無垢でお写真を撮っている新郎新婦とそのご親族がいたのだが、それを見て母が「りんは結婚願望はあるの?」「白無垢とウェディングドレスならどっちがいいの?」と聞いてきた。20代半ばの娘として珍しいのかどうなのかわからないが、私は母に恋愛の話をしたことがほんとに一度もなかった。本当に「今度会わせたい人がいるの」レベルにならないと言わないであろう心境だったからだ。恥ずかしいし。まず、孫の顔が見たいなら弟がいるし(10年弱付き合ってる彼女がいる)恋愛・結婚について言及されたこともなく、母が気にしている?心配している?なんてあまり思わなかった。でもそうか。年頃の娘を持つ母は娘に素敵な人と結婚して素敵な過程を築いて孫の顔見せてほしいよね。なんかすごく心に刺さるものがあった。後で向き合う。

今まで父や祖母に「デートの写真ないの?(恋人がいるなんて伝えたことない)」とか「りんちゃんも30くらいで結婚するんでしょう?」とさも当然のように言われたりとかして、そのたびに胸の中に重りが落ちるような思いだったのだが、母が言及したという事実は私にとって想像以上に重いものだった。質問するとき、母は私の顔を見なかった。私も母の顔を見れなかったのでお互い様だが、それだけ母の方にも今までしたことのない「恋愛・結婚」の話題を娘に振ることに不安や葛藤、心配があったのだろうと感じられ、胸を酷く鷲掴みにされる思いだった。

島根の夜、夕飯を食べながら母に「私に早く落ち着いて結婚してほしいって思う?」と尋ねた。母は「やりたいことが明白にあるならそれを応援する。でも特に目標も叶えたいこともないなら結婚してほしいと思うよ。あんまり遅いと私も孫の世話できないからね(笑)」と答えた。これも私の心に刺さった。何も言えなかった。

私は今まで、一人で生きることを基本に据えて人生を考えていた。一人で死にたくはないのでいつかは誰かに隣にいてほしいけど、それは具体的に想像・行動するほど切羽詰まっていなかった。それよりもトルコに住むことや、1年くらい世界を放浪するほうが大事なwantだった。結婚する/パートナーを得なくても死ねるけど(死にたくはないけど)、トルコに住んだり世界を放浪するまでは死ねないと思っていた。優先度合いが違うと。

でも、私が一人でいることで親を悲しませるのは嫌だなぁとひしひしと思った。別に親を喜ばせるために結婚すべき!とは微塵も思わないし、自身の幸せを他人のための犠牲にする必要は皆無だと思う。でも、自分の行動ひとつで大切な人が安心してくれるなら、喜んでくれるなら、そうしたいと思った。今後の人生で、親が子連れの家族を見て切ない表情を覗かせたり、私が帰省するたびに何か言いたげな顔をしてしかし私に気を使って飲み込むような姿を見たくない。親が悲しそうな姿を見る私が悲しいから嫌なのだ。実際さして悲しんでなくても、私は考えすぎマンなので絶対に罪悪感を抱えて一人でもやもやする。親が育て方が悪かったのかしら…と思ってるんじゃないかって思う。そして実家に寄り付かなくなる未来が見える。それは嫌だ。
ここまで書けばわかるが、私はだいぶ親のことが好きだ。それはいいことだと思う。特に母とは今回も含めてよく2人で出かけるし、遠出もする。友達親子とまでいかずとも、かなりそれに近いと思う。今後も一緒に旅行やらなんやらに行きたいと思っていたし、母も同じ気持ちだったと思う。

しかし、母は結局その関係上の立場は母であり、友人とは本質的に違うのだと思わされることがあった。今回の旅行の前半、めちゃ寒かったし風が強かった。良くないこともあったし、私は疲れた。それで、旅行を楽しむ心を失う瞬間が多々あった。それが良くなかったと、帰宅してから酷く反省した。親友でも恋人でも家族でも、気のおけない関係を長く続けていたとしても、「親しき仲にも礼儀あり」という言葉は大事である。母に謝った。気にしてないよ〜という返信が来たが、私の罪悪感は晴れなかった。仲が良いからと言って、母は母なのだ。甘えてはいけない。私は自分で稼いで一人暮らししているし、人並みの人付き合いもしている。自立していると言っていい。しかし、私が本当の意味で「親からの自立」を感じたのはこのときが初めてだった。それまではどこかで、親のことを「無条件で子供を愛してくれる存在」と思っていた。でも今回、自分の行動で「嫌われたかも」と思った。親に見放されたら、誰が私を無条件で愛してくれるのか(友人だって愛してくれるかもしれないが、私は自己肯定感が低いので全然普通にさよならされ得ると思う)?
そうじゃなくたっていつかは親はいなくなる…想像したくもないけれど。私は私の家族を作らないといけない。生育家族にいつまでも軸を置くのはこわい。親も私にそれを望んでいない。創設家族を作り、軸を移行しないと、私は将来ずっと罪悪感と不安に苛まれる。親を悲しませる(と思う)罪悪感と、親がいなくなった時を想定した、そしてそれが実際に起きた後の不安に。

落ち着いて暮らすのも悪くはないかと初めて思えた。こんなことは初めてだ。トルコに住まなくても、世界を放浪しなくても、好きな人と結婚して慎ましくも幸せで平和な家庭を築き、そんな日常を過ごすのもいいんじゃないか。いやトルコは行きたいけれど。

これに関して、行動することが2つある。1つは試験だ。これに合格したのでトルコに住み働きます。望みが叶った。もう1つは元恋人に連絡することだ。色々あるが、全責任が私にあるので(本当に私は恋愛において雑で利己的で不誠実だ)謝りたい。そうしないと前に進めないと思う。そのチャンスはあった。この前来日し、4年ぶりに顔を合わせたのだ。でも私は言えなかった。本当に最低である。だから、テキストで申し訳ないけど、言わないと。思ってる燻らせてること言わないとずっと引きずってしまう。しかし!言わねばと思い始めてから既に1ヶ月弱が経過している。しっかりしてくれ私 誰が叱責してほしい。一人だけ全部知っている友達がいるので、話を聞いてもらおうか。どうしても筆が動かせなかった時の最終手段だ。

私にできることは何か。私ができることは何か。

トルコに住むとか世界を放浪するとか、そういうバケット・リストの上位層が揺らいだことによって、私の人生を改めて見つめる必要が出てきたように感じている。

日本の全都道府県で暮らしてみたい、ノマドワーカーになりたいと強く思ったときもあったが、今は前ほどそう思わなくなった。そうじゃないなら、どうしたいのか?新しいwantを確立させないと日々が無為に過ぎていくだけなのに、中々どうして迷子である。

とりあえず上記2点をしないことには状況は変わらなそう。頑張ります。人を傷つけておいて自分が傷つくことをいっちょまえに怖がるなんて虫が良すぎる。人を殺した人は死刑囚になるんだよ

もっと色々書きたかったのに長くなってしまったのでここまで。

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