イスラームのメモ

・ムスリムは今後も増え続ける
・信者が最も多いのはインドネシア。アジアやアフリカに多い
・日本人ムスリムは5,000~10,000人ほど
・日本人は欧米・西洋の視点からしかイスラームを見られない。報道も情報も西洋の価値観をフィルターしている。さらには現代のムスリム自身もまた西洋の植民地支配による欧米的価値観を通してイスラームを見ている状況がある
・イスラームは心の救いや癒しを目的としない。要素として付随することはあれど本質ではない。根本は生活のすべてを神に従って生きるという点にある。イスラームとは人間側の態度を表すもの
・クルアーンとハーディス(およびこれらに基づいて作られたシャーリア法に示される規範体形)に従った生き方こそが神への服従
・入信するときには信仰告白(シャハーダ)をアラビア語で唱え誓う
・アッラーのほかに神はなし。神中心主義であり、いかなる人間や組織にも他者を隷属させる権利はない。言い換えれば神以外のあらゆる権威から自由である。その意味でヒューマニズム(人間中心主義)とは真逆で、神に自らをなぞらえることも偶像崇拝を行うこともNG
・聖職者という「権威」もいない。入信もシャハーダを唱えるだけ。
・またイスラームは法人・国家という概念を認めていない。

・とはいえ現実はどうよ。国家政府に囚われ従属しているどこもかしこも。
西洋植民地支配における隷属からは脱したものの、「領域国民国家」というシステムには変わらず従属している。
※領域国民国家:領域・国民・主権という3要素からなる国家システム。ここ2.3世紀におきた歴史的には新しい現象。学校に行くのも出産したら役所に行くのも当然で、国家に服従しているという意識すらされない。いつの間にか国家を守ることは無条件に正しいのだと身体に浸透する
・オスマン帝国のトルコ国家化に伴い、トルコ人とアラブ人の間に分断が生まれ、帝国が解体した
・また、ヨーロッパからのナショナリズム流入により、民族としての分離独立運動がおこり、アルメニア人大虐殺などの悲劇が起きた
・つまり現代のイスラーム国家はすべて「本来の神への従属」と「内面化された領域国民国家への従属」の板挟みにある
・イスラームではクルアーンの暗譜は学問を始める前に済ませるのが常識だったが、今では大学イスラーム学部の卒業試験課題になっている。人間の霊的完成ではなく、西洋的教育制度に組み込まれた。

p42
・キリスト教は全ての信者が教会に属するという中央集権的・官僚的なシステムを有する。日本の仏教も同様で、江戸幕府の「檀家ー寺請制度」がある。しかしイスラームには組織がない。
・アッラーはこの世のこととか人間がどうなるとか別になんでも構わない。でもこうして万物が存在しているのはひとえにアッラーが慈悲をかけてくれたが為である。存在するだけでアッラーに慈悲をかけられ、アッラーを賛美している。これがイスラームの世界観の基本。
・じゃあ別にムスリムにならなくてもよくないか?信じることと入信することはあんまり関係ないのでは?でも、イスラームの教えを信じることはムスリムになることでしか表現されない。まぁ逆に言えばそれだけ。
P49
・イスラームではイエスやモーセも予言者として見ている。でもユダヤ教はモーセの律法をイスラエルの民が歪曲したものだとしているし、キリスト教はイエスの福音を弟子が間違って解釈したものとしている(いやだから仲悪いんだよ…ww)。要は予言者は皆イスラームの教えを説いているのに、それを捻じ曲げたものを信じちゃってあらあら…というわけ。
・それでも啓典を拠り所にすることから「啓典の民」と呼んでいる
・にしても毎日礼拝で唱えるクルアーン冒頭でユダヤ教とキリスト教を「誤れる道」というのはそういうところやぞ感が否めないわね!
p51
・ムハンマド、山の洞窟で瞑想してたら急に降臨せし天使に「読め」と言われ、文字もないしそもそも識字能力がないから「読めません…」と返したら天使に身体掴まれて覆い被さられて苦しめられたうえでまたも「読め」と詰め寄られるのこわすぎる。そんなハードなご経験を…。帰宅したムハンマドは妻に「私は自分が怖ろしい」と告白し、夫を心配した妻はキリスト教徒の従兄弟に相談した。従兄弟は「それは天使ガブリエルだ」と断言し、ムハンマドは安心して予言者としての自覚を持ち始めるといういきさつらしい。
p52
・モーセは魔術が跋扈するエジプトの人だから、それらを凌駕する魔術を使って人々の信仰を勝ち得た。イエスはギリシアの医療が優れた時代の人だから、いかなる名医にも治せない病を治してしまうことで信仰を勝ち得た。イスラームはというと、魔術も奇跡もない。ムハンマドが生きていたころのアラブで尊ばれたのは詩だった。だから、クルアーンに記された彼の言葉の巧みさ、美しさ、その存在こそが魔法のような奇跡といえる。この美しさもあり、クルアーンの読譜は全てアラビア語とされている。
p55
行動規範5つ
・入信時と礼拝時の信仰告白
・喜捨
・断食 飲食だけでなく性行為も慎むらしい
・一生に一度のカーバ神殿への巡礼(勿論できない人も沢山いる)
行動規範は5つのカテゴリに分けられる
・義務(ワージブ) ※礼拝・喜捨・ジハードなど
・推奨(マンドゥーブ)※やったほうがベター
・許可(ハラール)※やってもやらなくてもOK
・忌避(マクルーフ)※やらないほうがベター
・禁止(ハラーム) ※一般的な犯罪行為・飲酒・豚食・博打など
とはいえ守らなくても最後に包括的に判断を下すのはアッラー。現世では確かにイスラーム法に則って裁かれ、刑罰を受けることもあるが、それが間違えることのないアッラー的に誤審なら来世で償われ、正しければ生前に償ってんだからチャラ。
p64
・ハラール認証って最近増えてるけど、何がハラールかなんて認証団体が決められることじゃない。決められるのはアッラーだけ。とはいえアッラーとお話なんてできないので、自分で経典を読んで判断するしかない。そもそも原材料だけでなく、流通経路や製造過程だって判断対象なのに、認証団体は勝手な基準を設けてビジネスをしているだけ。
・イスラームってあれこれ厳しいイメージだけど、実際はクルアーンを拠り所に自分でなんでも判断するのがイスラーム的というもの。豚を知らずに食べちゃったらしゃーなしだし、料理酒NGかどうかなんて自分が判断することで他人が目くじら立てるもんじゃない。
・日本ではこういうところに厳しく他人にも口を出す人をイスラーム原理主義者と思いがちだが、本当の原理主義者は啓典に忠実に、教えの根本を重要視する態度のこと。こういうのはただの些事拘泥主義。
・例として、2015年にサウジアラビアで雪が降った時、雪だるまは反イスラーム的なので禁止:魂を持たないものならOKという法学者の見解が発表された。サウジのワッハーブ派はこういう仔細なことに拘る傾向があるらしい。もっとほかにやるべきことがあるだろ。一周回って面白い。
・確かにイスラームでは偶像崇拝が禁じられ、それによりアラベスクやカリグラフィーが発達したと言われる。でも偶像崇拝することと、像や絵を作ることはイコールなわけない。それは殆どのイスラーム世界の共通認識であり、その辺は同じく偶像崇拝を禁ずるユダヤ教やキリスト教と同じ。一部の過激派がやべーだけ。
・とはいえムハンマドの風刺画を掲載した西洋の新聞社が過激派に襲われたのは、過失もバッチリだなと思うよ…他人様の重要人物を誹謗中傷したら問題にもなるわ。その辺無視して「西洋の表現の自由に逆行するイスラームの教義!」って被害者面しかしないのもどうかと思う。でも穏便であれ。
p70
・日本は西洋的思想に染まっているから違和感を覚えにくいけど、表現の自由の名のもとになんでもしていい訳じゃない。フランスは公的な場所に宗教的シンボルを持ち込むことを法で禁じ、ムスリマがヴェールをつける自由を認めていない。アラビア語には西洋的意味の「自由」という単語は存在しない。「自由」という発想がそもそもない。無理やりアラビア語で言えば「奴隷じゃない」という意味のフッルくらい。
・自由とはドーナツの穴である。自由があったりなかったりするのではなく、ドーナツという制約のない穴の空間を西洋的には「自由」と呼んでいるだけ。そしてドーナツの形は国によって異なる。その国に自由がないのではなく、制約の範囲が違うだけ。
・日本は自由に酒が飲めるって、それも未成年者飲酒禁止法や道交法に抵触しない程度の自由。日本は好きな服を着られるって、それも公然わいせつ罪にあたらない程度の自由。それにイスラームでは妻を4人まで持てるけど、日本人はそれを知っても「日本の妻帯制度は不自由だ…」とは思わないよね。
・禁令とそれの及ばない自由領域に対し自覚的・主体的なのが西洋と異なるイスラーム的向き合い方といえる。

p73
・民主主義もまたイスラームと相容れない考え方。人が人に立法権を与えてそれに従うって時点でヒューマニズムゴリゴリなので。
・そもそも民主主義・国民主権は虚構である。お仕着せの選挙制度で一度もあったことない候補者に票を入れている。選挙民にも年齢や国籍などの制限があり、選ばれたものは大衆がほぼ認知していない法律に基づき政治を行う。それは民主主義というより制限選挙寡頭制である。
・「ヨーロッパには民主主義があり、アラブには無い」というのは誤りで、あるのは制限選挙寡頭制のみ。
p75
・西洋は植民地支配によって己の概念を普遍的と決めつけ、世界に押し付けてきた。自由も民主主義も人権もそう。
・イスラームにおいて、義務と権利はふたつでひとつ。人権でも何でも「権利がある」のはそれに対応する義務があるときだけ。
・人間は皆唯一無二であり同時に平等である。西洋では賠償や慰謝料は生涯賃金などの要素で別々に算出するが、イスラーム法では誰でも一律ラクダ100頭。※ムスリマは男性より少ないのが通説ではあるが。
p82
・イスラームにはウンマという共同体概念があり、前述の通り「国家」という概念とは交わり得ない。しかしOIC(イスラーム協力機構)はイスラームの連携を謳いつつ、「相互に主権を尊重する」「互いに縄張りを犯さない」ことを主要目的としている。いわば、反イスラーム思想的組織なのである。
p83
・モスクは寺院や教会ではない。崇拝対象の祭壇もないし偶像もないし、ミフラーブだけあればいい。(ミフラーブのないメッカの聖モスク見てみた過ぎる)モスクはどこにも属さず、信者もどこにも属さない。それがキリスト教や仏教との大きな違い。
・じゃあどうやってモスクができるのか?最初に「ここにモスク建てたい」って寄進者が土地を買って建築費も出す。モスクができたら神に奉献し、所有権の移転を永久凍結する(「ワクフ」にする。こうすることで一旦建ったモスクは壊せなくなる)。同時並行で周辺に店舗や住宅、農地を作ってその収入をモスクの維持管理費に回す。モスクや店舗の管理者は寄進者が指名する。
・以前はイスラーム世界の土地の半分がワクフだったが、近代以降はワクフの国有化がなされ、宗教が国家の管理下に入れられるようになった。これにより宗教の自立性が著しく失われた。なおシーア派のイランでは国有化が断固反対されうまくいかなかった。イランの宗教力が維持されたのはこれが一因かもしれない。
p88
・ヨーロッパでは政教分離は近代国家の条件とされ、そうでないイスラーム諸国は遅れているとされてきた。しかしそもそもヨーロッパが政教分離を主張するのはローマ帝国とカトリック教会の権力対立を避けるためであり、この対立構造は政治vs宗教ではなく国家vs協会である。もっと言えば、ムハンマド以降にイスラーム共同体を束ねてきたカリフはクルアーンはイスラーム法に基づく世俗の人間である。(えでも宗教をベースにした法に基づいている時点で宗教色はあるのではzy)
p93
・8割を占めるスンナ派に対し、シーア派はイランやイラクに多い。スンナ派はムハンマドの死後普通に彼の代理人としてのカリフを選んだが、シーア派はムハンマドの従兄弟であるアリーをムハンマドと同等に無謬の存在(イマーム)として譲らなかった。かつ12イマーム派は12代目のイマームが霊的な存在になり今も存在しており、最後の審判の時に姿を現すとしている。このことから現実的なスンナ派に対しシーア派は大分神秘的で、政治も神権政治を取っている。そら仲良くなれないわ。

p96
・日本人がムスリムになる場合、女性は国際結婚が圧倒的に多い。男性の場合はホスピタリティ溢れるイスラーム圏を旅し、「お前もムスリムにならないか」と誘われ(猗窩座か?)、勢いでなっちゃうケース。大抵長続きしない。
p100
武者小路実篤の「真理先生」読みたくなった。理想主義なところとか。

「西尾維新のラノベを読んでいて」とナチュラルにでてきてびっくりした。学者サマだけど距離が近く感じる。
・イスラム教徒になろうかキリスト教徒になろうか決めかねていたとあるが、そもそもその発想に至らなくないか?特定の宗教に感銘を受けたとかでもないのになんかの信者になろ~って思わないよ…どういう感覚なの…
・イスラーム名!いいね~格好良い。日本人なら誰でもハサンは面白い。
・東大のイスラム学科30年の歴史で実際に入信したのは筆者ただ1人だけらしい。確かに研究は客観的であるべきなので内々の人間になることはあまり良しとされないかもしれないが、まず日本でのイスラーム研究はオリエンタリズムを有している。欧米の方が日本よりイスラームに近いから、西欧の視点を手掛かりにすることは合理的である。しかしそれにより見えなくなることもある。
・当時のイスラム研究は脱・欧米視点の色が濃く、むやみにアラブを賛美するようなアラブ擁護論がベースに敷かれがちだった。しかし知識人とはただものを知っている人ではなく(それは優秀な研究者だが)、権力と社会を批判的に見る目を持つ人を指す。身体化された西洋的価値観を疑うことなくイスラームを批判する、または西洋的価値観に反発し、やたらめったらアラブを褒める。世界を見る枠組みを疑わないと、一生見えるものは変わらない。
・筆者、スーパー優秀なのにほどよく陰キャっぽくてとてもすき。カイロ行気が進まなかったのに先に送別会開かれて断れなくなるの面白すぎる。外堀埋められてる…
・「電話は一週間後にくるだろう。インシャアッラー」→来ない。いつくるの「来週かな。インシャアッラー」→来ない。でもめげない。相手も可能性が1%でもあればこういうこという。大体神が望めば電話はつくだろう。つかなくても大したことじゃない。神を心底信頼しているからこそのスーパーポジティブ。これは身体化されたもので、後天的に簡単に得られるものでは無い。すげー。前提を変えたほうがいい。タクシーに定価があるなんて発想を疑え。
・喜捨や施し、もてなしの精神が素晴らしい。また利子は禁止されている。モノやお金は回すもの。滞らせるのは良しとされない。「あなたにとって本当の財産とは使ってしまったものだけだ」。なお借金が返せなくなったら強制取り立てはしない。返さなくてよくなる。じゃあ貸し損じゃないかだけど、これもまたひとつの喜捨とされる。面白いけど、後からこの感覚を得ようとするのは結構大変かも…

p140
サラフィー主義者の最大の目的はイスラームを冒涜する黒魔術を使うものを滅ぼすこと(そもそもクルアーンには天使も悪魔もジンもでてくる)。特にシリアは黒魔術の盛んな国で(!?)、国外政権にジハードするような知識も語学能力もない多くのサラフィー主義者の矢印は黒魔術使いとの戦いらしい。すごいな
・「風の噂にムハンマド君は捕まったと聞きました。家族とも連絡がとれません。おそらく、もう出てこれないかもしれません。」背筋が凍った。やば

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