帰結する種種雑多

先日の旅行は友人と行った。一人旅がデフォの女なので、人と旅行するのは久しぶりだったように思う。現地で友人と過ごすことは何度かあったものの、往路・観光・食事・宿泊・復路という全工程を共にするのはいつ振りか?コロナ前にまで遡るかもしれない。

今回は「人と旅行する」メリットを感じることができた。
感情をすぐにシェアできる。食事もシェアできるから色々楽しめる。一人じゃ選ばないようなもの・ことを選ぶことで思わぬ発見がある。それに友達のこと好きだから、同じ時間を過ごすのが楽しい。あっあと自分自身の写真を残してもらえる。

こう書くとメリットばかりだが、それでも帰るときには
「次の旅行は一人で行こう」と思った。
理由は2つある。

まず、私は旅に何を求めているのか?
恐らく、日常からの乖離を求めている。
友人といることは「日常」で、友人と日本語でお喋りするのも「日常」だ。すると異国にいようが「日本で日常を暮らす自分」が消えない。身体に染み込んだ「日常」の色素はそのままだ。「Aちゃんの友達で日本語話者の会社員」というタグをつけたままだ。

誤解の無いよう、旅行は本当に楽しかった!
しかし関東近辺で遊ぶのと同じジャンルの楽しさだろう。8,000Km離れて初めて味わえる楽しさとは「日常」の色素を手放してこそ享受できるものだと思った。そうすることで、頭の中を「旅行先」色に染められるスペースが生まれる。何言ってるか分からん人も多いと思う。私もうまく言語化できないが、気づきとしては非常に強固なのだ。

何者でもない自分のことしか頼れない、そういう状況を旅には欲している。
自分で考えて自分で決めて自分で動く。誰も引っ張ってくれないし誰のことも引っ張らない。その空っぽさ・無さ・足元がふわふわする不安とそれらをかき消してしまうほどのわくわくが好きなのかもしれない。とは言え根本がビビリなのであまり思い切ったことはできないあたり、非常に残念だけど。

2つ目の理由と重なるが、そもそも対人的に気にしいな性格が絶望的に団体行動に向かない。今回ならAちゃんは楽しんでるかな?とかAちゃんに無理させてないかな?とか心のどこかでずーっと考えてしまう。いやもしかすると私は気にしいなのではなく、あまりにも利己的なのかもしれない。普通は人に気を遣うなんて自然で、相手の気持ちや希望を慮った言動をするだなんて簡単で、心のリソースを投下せずともできることなんだと思う。
でも私は旅行の間投下装置をフル稼働させて、120%を楽しめなくなっている。どうしようもない。なんというか綺麗事を吐くようだけど、何であっても一緒に過ごしてくれる人には楽しいって思ってほしいと思う(でもそれだって全部何もかも利己主義に帰結するような気がするけれどこの話は長くなるので別途)。それで、こういう風にうまく投下できなくなっちゃうともう諦めちゃうんだよね。本当にどうしようもない。そういう自分のどうしようもなさを可視化したくなくて、一人旅を好む部分も少なくないと思われる。

トルコは絶対に一人で行く。憧れの非日常の具現化として頭の中で育ててしまっているから。

反対にぜひ人と行きたいのは、その人がすごく好きで(詳しくて)熱い想いを寄せている場所。例えばその人自身の憧れの場所や、何度も通っているor住んでいた場所など。だから、旅先で現地の友人に会うのは好き。父は中国赴任が長かったので、行くなら父に案内してほしい。Bさんはタイ料理が好きで、いつか一緒に行きたいと話していた(ご結婚されたので難しそう;;)。Cちゃんはイギリス留学経験があって特別な国だから、ロンドンを歩きながら当時の話を聞きたいなぁ。

色々書き殴ったけど、一人旅って格好良い!というのもシンプルだが立派な理由のひとつです。Bさんも単身ヨーロッパを回っていたの格好良いなぁと思うし、Cちゃんも女一人で北欧から南アジアなんでもござれな身軽さが憧れだった。ロールモデルのひとつとはいえ同じである必要はないけれど、特にCちゃんの存在は私にとって大きな影響だと断言できる。

蛇足。今回の旅では私も自覚的にAちゃんに大分頼ってしまった自戒の念。
特に言語の面で。Aちゃんは英中ともにペラペラなので、会話も問い合わせも大半を任せてしまった。舵を切ることを自分で放棄するな

国際交流会

友人の誘いで国際交流会に参加してきた。内実を全く知らないのだが、友達の多い彼のことなので怪しくはないだろうと思って。参加者は日本で働いているor学生をしている外国人。驚くことに、ほとんどがソフトウェア・エンジニア(またはその学生)だった。さらに在宅勤務なのだそう。このことを含め、私のもつ常識・普通・これぐらいが関の山・こんなもんよねというラインの全てがあくまで私の狭い世界のものだと何度も突き付けられた。言語だって扱えるし、在宅勤務だし、社会人になってから他国のディグリーを取得するのも珍しくない。いや、これらは話としては知っていたものの、実際にそれを己の血肉として有している人から直に話を聞くことで本当の意味で分からされた。

英語が早くて聞き取れない部分も多かったけれど、話の内容も面白かった。特に「なぜ日本に来たか?」「日本には長期で暮らすつもりか?」という話題。メディアで見る外国人は日本のカルチャーが好きだから!とか、日本人の優しい国民性が…とかそんなんばかりだけど、「転勤」とか「留学先で」など感情論とは程遠くて驚いた。長期的に住み続ける気持ちも薄く、日本は好きだけど…という感じ。
あと、私は東京ではなく東北の出身であることと、オーストラリアに1年弱滞在したことを話した。その後にDo you wanna go back to live in Tohoku?と言われ、うんいつかは東北に…と言いかけたらor Australia?と続き面食らった。オーストラリアに住むことは全く考えになかった。今まで色々な人にワーホリの話をしたが、そんなことほぼ聞かれたことは無かった。それも冗談めいたのではなく、本気で。そんな選択肢、周りにも私自身にも希薄なものだった(まず私本人に無いというのは大きいけど)。井の中の蛙になりたくないなと思った。井戸の蓋をガコっと外されたような気持になった。そこから出るかどうか、留まるか別の道を行くかはまた別の話だけど、光明を見た。

あとね~英語!勉強しよう!サボってるの自覚がある!話すの早い!くやしい!

服/外見

先日先輩に「ドバイは何着て行ったの?」と聞かれた。Tシャツとか長いズボンとかショートパンツですと答えたら「肩やお腹でてる服着ないの?」と返された。着ない。
いやー着ませんね~と流したが、確かに着てみてもいいのかもなと思った。他人は何歳になろうがハッピーになれる服を着ればいいと思うけど、あくまで己の自意識として「ちょっとこれはもう着れないな…」と思う日はやってくると思うので、色んな服は早めに着てみるのが吉だと思わされた。
旅行中なんて普段以上に快適性>ビジュアルなのであれだけど(ワーホリの後半なんてTシャツとショートパンツとデニムしか着てなかった)、そういう時こそ着れる服・着たい服もあるのかも。

映画

私は普段全く映画を観ない。ハリーポッターとディズニーを年に1.2回観るかなという程度。
珍しくLCCではないエアラインだったので、機内で映画をたくさん見た。それがとっっても面白かった。映画って面白いな…と初めてちゃんと思ったかもしれない。PIXERとディズニーとティム・バートンばっかりだけど。


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