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YTCを聴くと泣きたくなる理由②

※①があるので良ければそちらから。
 内容的には読まなくても問題ないです。

歌について、専門的なことはわからない。
なんなら楽譜も、声楽をやっていたときですら感覚で
読んでいたくらい。

だから専門的なことは分からないが、
ただ音が心地よいとか、
耳に残るとか、
感動があるとか、
そういうものが自分の中では印象に残る。

ハマるきっかけにもなった、
1番最初に心に残った曲は

봄날/Spring day

歌詞が心に刺さり、
メロディが心臓を掴んで離さない。

ビハインドでナムさんが話してたことが
すごく印象に残ってて、
どうしてこんな綺麗な言葉がメロディが
降りてくるんだろうか。
キムナムジュンという人の感性が
すごく好きだなぁ、と思った。

それからビハインドを見ては
曲を聞いて、歌詞を読んだ。

私は例に漏れず世界で爆発的に人気が出てからの
新規ARMYなので、
彼らが歩んできた道のりも苦悩も喜びも
“その時”を一緒に歩んできていない。

それは、どの界隈でもあることで
初期から一緒にスタートを切れる事は
奇跡的な巡り合わせで、
それを継続していくこともまた、
奇跡みたいな関係性なんだと思う。

だから、
それが偉いとか偉くないとか
優劣を持って話せることではない、
と、個人的には思う。

※ 補足
別界隈では所謂古株経験もあるので、
古株新規問題で色々あることは理解している。

話を戻すと、
後から色々なコンテンツを見て
見せてくれる姿において
その人の人となりを
歩んできた道を
ファンの目線で
自分なりに理解して納得してきた。

曲やMVなど、アウトプットした作品は
その人が表現したいこと
伝えたいこと
わかって欲しい、知って欲しいこと
承認欲求が少なからず含まれていると思う

そのアウトプットされたものを受け止めることで
自分もその世界の一部になれた気がして、
その人ごと受け止めた気持ちになる。
そして沼を突き進んでいくことになる。

この表現が合っているのかはわからない。
でもそれでいいと思ってる。

そこで自分なりの解釈を続けて
沼の中を右往左往しては
また沼を掘り進めてきたところで
待ちに待った新曲が
『Yet To Come』

タイトルからすでに。
まだ来てない。
私たちの最高の日々はまだ来ていない。

今までが良くなかったのではなくて、
未来に向けて、
もっと最高の日が来るよ、という
確信を持ったメッセージだと思った。

これまで、
良いことも悪いことも辛いこともあっただろうと思う
それは一般人やってる自分には
どうやっても分かってあげられない。

まだ若い彼らが抱えた物は
ひどく重くて
苦しいものかもしれない
それでも
全員が向いてる方向の一つには常にARMYが居て、
最善と信じて、
時に色んなしがらみに巻き込まれながら
選択して進んできた彼らが
今このタイミングでこの曲を出したことが
私にはすごく納得できた気がした。

最初は走馬灯ような、
最期の前に見る夢のようで
寂しさを感じたのは、そう。

自分を客観的に振り返ることは、
それはとてつもなくパワーのいることで
自分が何者なのか?
何者になりたいのか?
これまでの経験を振り返って何が出来るのか…

彼らが彼らなりに色々考えて出したひとつの答えが
『Yet To Come』
第二章の始まり

これで終わりではなくて、
力を付けるために必要な時間。
失いたくないものの一つにARMYがあると
信じてるんだけど
どうなのかな?

まだARMYになって1年に満たないけど
だからこそ、一気にあらすじを読んだような
そんな感覚もまだあって
少し俯瞰してみれてる部分もあるのかもしれない。
あと、彼らよりも生きている年数は大分長いので。

全部を分かってるなんて
そんな烏滸がましいことは思っていない。

ほんの一部。
彼らが生きてきて考えてきて
精一杯共有しようと、わかってもらおうと
見せてくれているほんの一部に対して
全ARMY分の受け取り方があって然り

だから、これは私の受け取り方。

この曲は過去の振り返りで
オマージュが沢山詰め込まれてる。

だからこそ、
もっと早くに出会えていたら…
もっと違う見方があったのかな…
彼らが大事にしているものが
もっとちゃんと理解できたのかな…
って、
よくわからない悔しさや寂しさが
どうしても心の隅っこから顔を出してくる

だから

『Yet To Come』を聴くときは、
なんだか泣きたくなるんだと思う。