雑記 ホンモノのマザコン

 世の中にあふれるマザコンがニセモノだと言いたいわけではないです。

 子供の頃の私が考えていたマザコンは以下の定義でした。
①自分の身に起きたことを全て母親に話す
②自分で決められず、母親に決めてもらう
➂聞かれてもいないのに母親の話をする

 時代は変わり、身近な人やSNSを観察すると①や➂はそんなに珍しい存在でもなくなっているという気がします。②も若いうちなら相談という形で方向性を決めてもらう人が少なからず存在する印象です。

 しかし、ホンモノはそれだけではないのです。ホンモノは「ボクとママしか世界に存在しない」のです。
 父親が何をしようがしまいが、パートナーができようが、子供ができようが、とにかく世界には二人しか存在しないので、それ以外を特別な存在だと認識することはないのです。
 まずは、何はともあれ、自分。そしてそれを全て包み込んでくれるママ。以上。といった感じです。

 中には元々はマザコンだとしても、自分の家族を持ったら、母親だけではく家族も大切にしてくれる人もいるようです。それは、マザコンから親思いにシフトしたということでしょう。素晴らしい成長だと思います。

 私が見たホンモノのマザコンエピソードがたくさんありますが、その中のいくつか紹介します。だいぶ年月が経っているので、事実とは異なる部分もあるかもしれません。あと、実際には「ママ」と呼んでいた訳ではないですがイメージがそれなのでここではそう書いています。

 一つ目は、「臨時収入はボクとママで分ける」です。
 とある事情で、元配偶者に少なくない額の臨時収入があった際、特に相談もなく、半分をママに渡し、もう半分を自分の審美的なメンテナンスや趣味、買いたいものを買い漁ることに使って、全て使い切ってしまいました。小さな子供がいて、貯蓄もままならないのに、短期間で全て使い切る意味が分かりませんが、パートナーや子供達は大切な存在とは認識していなかったみたいです。もちろんママもすんなり受け取っていたようなので、そういうお考えだったのでしょう。
 ママに7ケタのお金を渡せるなら、せめて子供達のために少しだけでも使ったり、残してくれていたらよかったのに、と思います。

 二つ目は、「緊急連絡先はママ」です。
 これはかなり後で分かったことなのですが、会社に緊急連絡先を申請する際に婚姻から何年も経っていて、車も運転免許もある当時の配偶者である私や、同じく車も免許もあってセミリタイアしている父親ではなく、車の免許もない高齢者のママの連絡先のみを書いていたようです。
 いくつか書く中にママが入っているならまだ理解はできますが、ママだけを申請していたということなので、二人だけの世界で生きている人なのだと改めて認識しました。
 もし、私が無知なだけで、世の中では親と別で暮らしていて、自分の世帯を持っている人も、母親のみを緊急連絡先にするのが常識なのだとしたら、マザコンエピソードに挙げたことを反省します。

 三つ目は、「ママと相談して決めて。」です。
 子らの習い事について、子らの幼稚園または保育園について、子らの親であるはずの元配偶者は、その一切をママに委ねていました。
 幼稚園にするか保育園にするかは、私の働き方や働き口との兼ね合いもあって、色々と調べて資料も揃えて話をしようとしたのですが、ロクに聞きもせずに言われました。
 「ママ」は一方的に条件を出してくるだけでこちらの状況や子らに対する思いには一切聞く耳を持たないので話し合いにはなりませんでした。結局、独断で、一番お金のかからない公立の幼稚園に入ることを決めて、申し込みや準備などを全て一人でやりました。
 すっかり忘れていましたが、そういえばそんなことがあったと思い出しました。自分の子供について、真剣に考えることができない人だったのだなと改めて思いました。
 余談ですが、下の子を産んだあと、当時は託児所つきの美容院がさほど多くなく、1年近く美容院に行けない期間がありました。その期間に「さすがにそろそろ美容院に行きたい。子供たちを美容院に行く間だけ、みておいて欲しい。」と話したときも同じことを言われました。昔のことって、一つ思い出すと色々と思い出すものなのですね。
 思い出しついでに脱線しますと、このやり取りがあったあとに素直に従い「ママ」に預けて美容院に行こうとしたら、「ママ」は子らを連れて付いてきました。ハサミや薬剤がある美容院の中で乳児と幼児がいる状態で、目をはなしたら危険だしお店にも迷惑だろうし、全く落ち着かないし、とにかくカットだけしてもらって最短時間で店を出ることになりました。
 この出来事に懲りて、その後は、子らが小学生になるまでは、年に数回程度の美容院の際に時間制の保育園に子らを預けて行っていたのですが、どうやら「ママ」は私が浮気してると決めつけていたようです。

 四つ目は、「ママが○○って言ってるから。」です。
 婚姻中も時折そういう言い回しをしていましたが、特に離婚の話し合いをする際に何度となく言われたことが印象に残っています。
 いい年した中年が自分の事も決められず「ママがお前の事を○○って言ってた。」「ママがそれは応じてもいいって言ってたから応じるよ。」「ママはそうは言ってない。ママはこう言ってた。」などなど、全てママに話して意見を求めてママが決めていた様子でした。
 そういえば、離婚して数ヶ月後にわざわざ電話をかけてきて、「ママが、お前があの時に何度も子供たちを預けていたのは、浮気してたからだって言ってるからな!ママが今、証拠集めてるから覚悟しとけよ!」という内容のことを言われました。
 同居していたわけでもなく、頻繁に顔を合わせるわけでもなく、特に仲良く世間話をする関係でもなかった「ママ」が、私が子らを預けて美容院に行っていたことを知っているということは、元配偶者が逐一、報告していたということなのでしょう。さらに、やましいことをしているとまで思われていたことをその時に初めて知りました。
 私という共通の敵がいることで、より親子の結びつきが強くなっていきいきいるようなので、妄想の世界で末永く幸せに過ごしてくださいと思ったように記憶しています。


 以前、子育ての成功は、親が死んでも子供が困らない状態にすることだと思っていると書いたことがあります。

 もしかしたら、この考えの根底には、マザコンへの嫌悪もあったのかもしれません。

 大人になった子供たちが、自分の頭で考えて、目の前の人を尊重して、話し合って、歩み寄れるような人になれていたらいいなと思います。


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