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59.網地島の謎

前回、網地島には隠し金山があったとお話ししました。金山と言えば皆さんご存知の佐渡島がありますが、この網地島と佐渡島には不思議な関係があります。
網地島はあまりメジャーな島ではありません。宮城県石巻市の太平洋に突き出た岬の先にある島です。さらにその東には、有名な金華山があります。金華山は日本で初めて金が採れた島として知られています。

そもそも、宮城県という場所は、金と深い関係があります。東大寺盧舎那仏像の建立時、金900両(13kg)を献上したのが、涌谷という所で、ここが日本で初めて金を産出した所として知られています。金華山は日本で初めて金を発見した所で、涌谷は日本で初めて金を産出した所となります。

平泉の黄金を産出したのは、陸前高田の金山からですが、現在は岩手県となっている陸前高田は、伊達政宗公の時代は、伊達家の領地でした。涌谷の場所は、陸前高田の金鉱脈の南端になっているそうです。

さて、網地島に話しを戻すと、涌谷は宮城県の北部にあり、その南東約50kmに網地島があります。伊達家の領地の時、網地島は罪人の島でした。つまりその罪人を利用して産金をしていたのでしょう。この金はどのように運ばれたのかは、記録をまだ見つけていませんので、真実は分かりませんが、色々な情報を照らし合わせると、あるルートが浮かび上がってきました。そのお話しは次回にすることにします。

網地島の謎のことですが、島の東端に小さな島があり、その島の名前が佐土島といいます。新潟の佐渡島とは文字が異なるのですが、ここで話しが飛んでしまいます。

一体なにが謎なんだ。早く話せと、お叱りを受けるかも知れませんが、これからが重要なポイントです。

私のベースは、30年前に仙台の町に六芒星という星を発見して、その研究を続けているうちに、自分の前世がわかるという体験をしたことから、過去世に関してや、歴史に残された史実の検証を行っていたところ、あらたな疑問が出てきました。

仙台の星は、仙台城下の神社やお寺やお城を線で繋ぐと六芒星🔯になり、それが町割りを決めている基準になっているという発見で、その六芒星🔯は、東西南北に正対しておらず、15度反時計回りにずれています。そのことが、仙台の六芒星🔯の謎を解く鍵だったのです。

その六芒星🔯の中心は、定禅寺通りと国分町の通りとの交差点になるのですが、仙台を知らない方のために場所の説明をしますと、仙台市役所の南西の交差点になります。

そこの交差点を中心として、東西南北に正対するように十字を書くと、その横のラインの東西線の東の延長線上に網地島があり、西の延長線上には、なんと奥羽山脈を超えて、山形県を抜け日本海に出てさらに西に進むと、佐渡島の北部にたどり着くのです。
一般の宮城県人は、佐渡島は新潟県の西の日本海に浮かぶ島で、隣の山形県の西にあるとは誰も認識していないと思います。

佐渡島の金山と網地島の金山が、仙台の中心を抜けてつながっているのです。
そのライン上には、43回でお話ししました五郎八姫様の愛子栗生にあった屋敷を見事に貫いているのです。
五郎八姫様の歌詞にある『宝の場所は星の中』が異常に関係してきそうな配置なのです。やはり、伊達の埋蔵金はあると思います。

今回も読んで下さりありがとうございました。感謝いたします。

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