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69.蜂子皇子が現れた

68回で役小角のことを書きましたが、役小角が蔵王山まで行き、蔵王大権現を祀ることができたのか?という疑問には、山形県の出羽三山を開いた、蜂子皇子の話しをしました。

その前に、前回話し忘れたことで、政宗公が役小角ではないだろうか?という一つの出来事がありました。それは、奈良の霊視できる女性が仙台に来たとき、蔵王山に登りたいと、仙台の友人と共に車で向かいました。
その時、政宗公が一緒に車に乗られていたとのこと、実は蔵王山に登るのは、政宗公のリクエストだったらしいのです。するといつの間にか、政宗公が居なくなり役小角が乗っていたと言うのです。
その時には、なぜ役小角がいたのかがわからなかったのです。

今思えば、政宗公の前世に役小角が居たからだと理解出来ます。

蜂子皇子が日本海を船で山形県まで行ったお話しを前回しましたが、奈良からどうやって行ったのだろう。という疑問ですが、以前、神人さんのユーチューブで、神人さんが神武天皇だったと言うお話しをしていたと書きましたが、当時はナガスネヒコと戦って、ナガスネヒコは日本海側の港から、船でツガルに行くというお話しがありました。その時、日本海側には普通に、ツガルへと向かえる船があったのだと知りました。それも、ツガルという地名があったというのも、衝撃でした。
ナガスネヒコと戦った神武天皇は、当時タケオミと名乗っていたようです。

ですから、役小角が蔵王山まで行くことは無理なことではなかったのです。

さて、蜂子皇子のことですが、以前にヒルデガルドさんの事務所に現れたことがありました。その時には、ヒルデガルドさんと私とこのノートに時々登場する、仮称遠藤さんと白石市在住のHさんがおりました。Hさんは青葉祭りの時に太鼓をたたかれる方で、神社の奉納太鼓をたたいております。

四人で話しをしていた時、「あれ誰か来ているな」と四人の誰かが言った時、仮称遠藤さんが、「蜂子皇子だ」と言ったのです。ところが言ったとたんに、「あれ?何でわかるんだ」と言う始末。自分で言っていても、言わされていることもあるのです。

私はその時蜂子皇子の事は知りませんでしたので、後から調べてインド系の顔をしたひとだったとわかりました。当時の日本は外来の人達が集まって来ていたのだとわかりました。

まあ、そんなことがありました。というお話しでした。今回も読んで下さりありがとうございました。また次回お目にかかりましょう。感謝。

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