見出し画像

65.支倉常長と茂庭綱元、その3

まずは、本日は2021年元旦です。
明けましておめでとう御座います。

これをいつのタイミングで読んでいただけるかわかりませんが、新年を迎えて今回が65回になりますが、連続50日目の節目になります。
私がノートを書き始めた時、100回を目指すことを目標と掲げました。一日に複数回上げたこともありましたので、今や連続100日を目指しております。やっと半ばに到達いたしました。それも偶然に2021年元旦に当たるとは、思いもしませんでした。
書き始めてみて思ったことは、自由に書くことはとても楽しいということでした。内容を深くしようとすると、資料をたくさん用意しなければなりません。そうすると、仕事の合間に書くということは、無理です。そういう場合は、休みの日を狙って書いています。
人生長く生きてきたぶん、ネタに困ることはありませんが、目が疲れて文字が見えにくくなるのが唯一ネックです。
ともかく、ひとりでも読んで下さることが励みとなって、楽しく続けさせていただいております。ありがとうございます。

さて、今回は支倉常長が二年後に死んだと記録にあるのは嘘だということから始めます。

支倉常長のお墓と言われているところは、現在三ヶ所あるのですが、私が本物と考えているところは、大郷という所にあるお墓です。今はメモリアルパークとなって、綺麗に整備されています。

その土地には、常長が生きていたという記録が数多く残されています。一般的には、1622年に52歳で亡くなったことになっていますが、別な説では1654年に亡くなったとあります。転生のシンクロの観点から言いますと、私の今世の誕生日が、1954年ですから、ちょうど300年前になります。五郎八姫様の誕生日が、1594年で、私の前世の茂庭綱元は1459年生まれで、1459の並べ替えとシンクロが見られます。

頭の良い方ならすぐに気づくと思いますが、「そんなのこじつけだよ。日本じゃ西暦は使ってないよ。偶然だよ」と思われることでしょう。私も最初はその違いに悩みました。しかし、現代科学を基準とした思考では、矛盾になるのです。
私の体験で、過去、現在、未来が矛盾した体験をしてから、時間が過去から未来へと流れているという考え方が違うのではないだろうかと考えるようになったのです。
それを簡単に言うと、過去も未来も今にあり、すべては無限のパターンですでに起きている。ということです。

その体験については後日お話しします。

話しを戻して、支倉常長の存在を一番重要視したのが、五郎八姫様でした。なにせ、常長は外国で本物の洗礼体験をしてきましたし、ローマ法王とも会ってきた日本人ですから、五郎八姫様からすれば、情報の宝箱です。その人間はなんとしてでも守らなければなりませんでした。

幕府が五郎八姫様をキリシタン取り締まりで捕まえることは、伊達家との戦を覚悟しなければならないため、そこは見て見ぬふりをしていたのだと思います。

たぶん、五郎八姫様の願いで、綱元が常長を死んだことにして、身を隠させたのでしょう。

私が常長の本当の墓であろうと言っている、大郷の場所は、以前にお話しした、仙台城からの脱出ルートになります。
そこから松島の瑞巌寺に行けるのです。
瑞巌寺の並びには、五郎八姫様の菩提寺の天麟院がありますが、ここでとんでもない発見がありました。

このノートでは、私の自由なお話しをさせていただいておりますが、内容のなかには、歴史的に貴重なお話しが入っております。何年か何十年後に、その価値がわかるものと思われます。

話しを常長の墓に戻して、私が常長の墓と思っているところは、大郷の東成田という所です。そのそばに東光寺というお寺があります。そのお寺さんに行ったのは偶然だったのです。たまたま支倉常長の研究書を読んで、それを書いた方が佐藤住職というお坊さんでした。その方を訪ねようと大郷まで行ったのですが、住所に書いてある「西光寺」は見つからず、お墓の近くにあった「東光寺」で場所を訪ねに入ったのです。
すると、「西光寺」というお寺さんは無いとのことで、住所の名前が西光寺だというのでした。

がっかりして、研究書を書いた佐藤住職を探していると説明したところ、「それ、私のおじいさんです」となって、完全な資料をわざわざコピーしていただきました。
こんな時に、神の導きを感じます。話しはここからです。東光寺の若い御住職は先年の東日本大震災の時、古い先代の位牌が崩れた時、とんでもないものが出てきました。と言って見せてくれたのが、位牌の裏の赤い十字架でした。
その位牌は、東光寺の初代住職のものだというのです。つまり、初代住職はキリシタンと何らかの関係を持っていて、二代目以降は、秘密裏にその位牌をデウスの神として、拝んでいたと想像されます。住職を信仰に引きつける説法をできる者は、支倉常長以外には居ないでしょう。

更に、その東光寺の住職には、松島の五郎八姫様の菩提寺の天麟院の四代目住職が勤めていた記録があるのです。

伊達家はキリシタンを擁護していた所なのです。この話しは、今後のキリシタン天下統一と、伊達の埋蔵金につながるのです。さてさて、そのお話しはいつになりますか、お楽しみに。

今回も読んで下さりありがとうございました。感謝します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?