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16.記録にない過去がわかる

前回伊達政宗公の長女の五郎八姫様のことを書きましたが、五郎八姫様は徳川家康公の六男の松平忠輝様と結婚しましたが、離縁させられました。江戸の伊達家の屋敷に戻ったのですが、子供はいませんでした。その後も再婚していませんので、子供がいたという認識はありませんでした。

ある日のこと、私は女性のカメラマンと共に歴史の調査に行きました。彼女は歴史には詳しくなくただ言われたまま写真を撮っていました。前回お話しした、五郎八姫様が晩年住まわれた、仙台城下の西にあった栗生屋敷近辺を説明しながら廻っていた時のことです。

急に「五郎八姫には子供がいた」と言い出したのです。私は「いや、いなかったと思うよ」と応えると「いや、絶対にいた」と言い張るのでした。何を根拠にそう言うのかわからなかったのですが、それほど自信を持って言うのならそうかも知れないなともう一度調べてみることにしました。

しばらくすると、やはり五郎八姫様には子供がいたという、五郎八姫様の研究をされていた方の著書に載っていたのです。伊達家の秘密文書に、五郎八姫には男子あり、黄河幽清というと書かれているというのです。

何で彼女は歴史に詳しくないのに五郎八姫様に子供がいたなどと断言できたのだろうかと不思議に思っていると、何と彼女が五郎八姫様の子供だったのです。前世は男性で黄河幽清(こうがゆうせい)と名乗った僧侶でした。

彼女と出会ったのは、五郎八姫様の導きだったに違いありません。私が30年前に発見した、仙台の謎の星の研究を、私以上に研究してネットに掲載しています。私の本名の「イナベイサオ」で検索すると、仙台の星の研究が見れます。

転生が本当にあるという証明のような出来事でした。周りに集まってきた仲間達の中には前世の状況が見えたり、聞こえたりできる者もいて、黄河幽清の幼少の時の名前が、八五郎で後に高輝と名乗っていたといいます。いつの日にか史料が見つかって証明できれば楽しいでしょうね。

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