向坂未央(サキサカミオウ)

 親の幸せが子供である私には直結しない。誰も彼もみんな、個人であり独りだから。他人にだんだん触れていくような感覚に、いつからか嫌悪感を覚えるようになった。
「じゃあ、お母さん仕事に行ってくるから。ちゃんと勉強しておきなさいよ〜?」
お母さんが幸せそうに微笑む。
「分かってる。気をつけてね、行ってらっしゃい。」
手を振ると、お母さんはドアを閉めた。
バタン。
その音に弾かれるように、私は急いで自室に駆け込もうと足を踏み出した。その矢先に視界に影がおちた。
「未央ちゃん」
低い声で名前を呼ばれ、首筋を汗が伝った。目を合わせないように、と必死に視線を合わせないように泳がせながら口を開いた。
「お、おじさん。私、勉強しないといけないから……!」
お父さんと呼ぶのもおぞましいその男の横を通り過ぎようとすると、太くて毛深い足に阻まれた。
「おじさん!私本当に急いでるの!!通らせて!!」
思わず大きい声を出してしまうがおじさんは気にすることなく、私の肩に手を置いた。
「未央ちゃん、落ち着いて?お父さんと、仲良くしてほしいなぁ?」
その手が触れた部分が痒くて痒くて仕方がない。気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!私は耐え切れなくなって、その場でしゃがみ込み嘔吐した。
「私の……私のお父さんは…三年前、事故で死んだの……。だから私には、……お父さんは、いない……。……もう、要らない……!」
痛む喉を摩りながら、絞り出すようにそう呟いた。するとおじさんは、口元こそ笑っているものの乾いた目で私を見た。
「せっかく仲良くしたいなって思って優しくしてるんだからさ、仲良くしようよ。それがお母さんのためになるとは思わない?ねぇ、未央ちゃん?」
腕を掴まれ無理矢理立たされる。直後、頬に強い衝撃を感じた。痛い、喉の痛みを忘れる程に。視界が震える。恐怖と嫌悪で、呼吸が苦しかった。

 あの男が住み着いて半年。私は学校に行き、終わった後にバイトをして夜に帰ってきて風呂に入ったらすぐに部屋に戻って勉強をする。そうしていれば、あの男と関わらなくて済むから。学校では委員長と呼ばれ頼りにされている私も、家では居場所のないただの引きこもり。そのおかげで成績は良いけれど、日々疲れだけが溜まっていた。お母さんと話すのも一緒に家を出る朝だけになってしまった。何故あんな男のせいで私が我慢して苦しまなければならないのか。お母さんが幸せなら良いかなとか最初は思っていたが、あんな男といて幸せそうなお母さんにも少しの嫌悪感を抱き始めていた。私はこれから先もずっと、苦しいままなんだ。繰り返しみる悪夢に今日もまた魘され、夜中に目が覚める。喉が渇ききっていることに気付いた私は、リビングに降りて水を飲む。部屋に戻る廊下。ギシギシと変な音が聞こえた。思わず足を止めて聞き耳を立ててしまう。
「ダメッ……未央に聞こえちゃう……」
「未央ちゃんだってもう高校生だ。これくらいで動揺したりしないだろう。」
「でも……」
その後に聞こえた気持ち悪い声に、私は思わず耳を塞いだ。嫌だ……!気持ち悪い!!お母さんが汚されているような気がして、私は涙を流した。私の味方はもう誰もいないんだ。そう、実感した。その瞬間、私の中のピンと張った糸がチョキンと絶たれる音がした。もう、無理だ。

 気がついたら、知らないおじさんとホテルにいた。二人して服を着ていなかった。生まれたままの姿を汚されたことを語るように白い何かが私の足を伝っていた。
「んふふふ、初めてだったんだねぇ。おじさん嬉しいよ、こーんな可愛くて若い子の初めてを貰えちゃうなんて!」
息を荒くして捲し立てるおじさんは、あの男と同じ臭いがした。臭い。汚い。あの男と一緒。死ねばいいのに。私は天井のライトをぼ〜っと見上げながら、おじさんに語りかけた。
「おじさんはさ、臭くて汚くて犯罪者なんだよ。生きてる価値のないゴミなんだよ。あんたは私の身体にベタベタベタベタ触った、舐めた。部屋にはあんたと私の二人きり。どちらも裸で、私の中にはまだあんたの汚いのが残ってる。私がこの窓から落ちたらどうなるかな?あんたが疑われるよね。私優しいから、何の役にもたたない存在価値のないあんたに役割を与えてあげる。きっと酷い目に遭ったんだって、みんな私に同情する。そしたら男がどれだけ汚くて最低か、みんな分かってくれるよね?男なんて、生きてる価値もないんだよ!!」
私は夜の街へ身体を投げた。風が気持ちいい。やっと私は、救われる。限界だった、私はもう生きていたくなかった。
「お母さん、バイバイ。」

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