「私のかけら。」#ことば展覧会

言葉って、私のかけら。

私の心臓の一番奥の、特別な至極色の部屋からこぼれ出た感情が、大して大きくない大脳のウェルニッケ野で音韻処理されて、ブローカ野で統合的に構造されて、人に伝わる共通の言語に変換される。

変換された感情は、肺から送られてきた常温の呼気と一緒に声帯の間を通過して、声帯を振動させて、薄桃色の咽頭や口唇、小さな鼻腔の通路を狭めたり閉鎖させたりして言語音になる。ぼったりした舌や歯並びの悪い口を通り抜け、言語音はそこで初めて、言葉になって私の口から発せられる。

言葉は、そうしてこぼれた内側の、小さな私のかけら。


愛する人への言葉は、私のかけらが一番柔らかく溶けやすい状態で覆う。適度な温度と湿度、のったりとした粘性を持って、たったひとりの愛する人に染み込んで、その人の体の一部になってしまえばいい。ほかの人からの囁きなんて聞こえないほど、私のかけらだけが染み込んで滞積していけばいい。そのうち私の一部になるよ。あなたの一部は私の言葉。


嫌いな人への言葉は、私のかけらが細かい小さな砂になって降り積もる。過敏な真皮に触れたら少し違和感はあるけれど、傷を作ったりはしない。棘にはしない。刺さないように気を付けるよ。さっと手で払ったら、落ちるくらいの砂にするよ。


物語は私のかけらの集合体。私のかけらが、くっついたり離れたりしながら創造されていく。私の分身であり、私の空想であり、私の現実でもある、私のかけらの創造物。私のかけらが集まっただけの、集まって流れる私の物語。


物語の中で私は、人を殺めたり、自死したり、愛したり、憎んだり、裏切ったり、従ったり、困ったり、決断したりしながら、言葉を紡いでいく。

言葉って、私のかけら。

時々爆発する。
着火した覚えはないのに、急に燃え上がって溢れだして、人に通じない、共通言語音にならない、声帯を震わせない、形にならない私のかけらは時々暴走して手に負えない。朱殷のマグマ。爆発したら情緒の安定を待つだけ。自分の中の嵐はいつか去る。言葉はそれまで語らない。静かに、何も発さず、凪を待つ。


言葉を発するたび、私はかけらを失うから、その分吸収しないといつか空っぽになってしまう。


夕映の海から。
静寂の森から。
早朝の空から。
寝起きの毛布から。
隣人の挨拶から。
実家の匂いから。
父の声から。
母の手から。

私は私のかけらをたくさん吸収する。


吸収して集まった私のかけらは、再びウェルニッケ野とブローカ野を介して言語音に変換されて、言葉になる。

そうやって、人と人、物と物の綾の中にある、言葉って私のかけらだ。

《おわり》

#ことば展覧会

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