漢字博士。

ちょっとここらで、私のプロフィールや生い立ちなどをホニャラララ。

私は、昭和50年代半ばに、大阪のそこそこ大きめの街で生まれ育ちました。

小さい頃はそれはそれはもう、性格も根性もひねくれてしまって、可愛くない子供でした(笑)。以前にも述べましたが、私はADHD(注意欠陥多動障害)とアスペルガー症候群を併発した、いわゆる発達障害を持っていまして。忘れ物が多かったり、落ち着きがなかったり、すぐに物を失くしたり、整理整頓が全く出来なかったり、違う動作を同時進行で出来なかったり、簡単な計算が出来なかったり、怒鳴り声や突然の大声・周囲の雑音に過敏になりすぎてストレスを感じたり、人とのコミュニケーションスキルがなかったり、好きな事を見つけると夢中になるあまり周りが見えなくなったりと、まぁこんな調子で幼少期から現在に至るまで過ごしてきていますので、とても生きにくさを感じています。

最初に異変を感じたのは幼稚園時代。みんなが出来ることが私ひとりだけ出来なかったり、お友達と上手にコミュニケーションが取れなくて輪に入れず遊びにくかったり、みんなと同じスピードで動作が出来なかったり、時間内に給食が食べ切れなかったり、まぁそんな感じですから、イジメの恰好の的になってしまうんですよね。たぶん私の存在が目障りだったのかウザかったんでしょう。気づいたら先生を含め、クラス全員が敵に感じました。当時4歳。誰一人として味方がいないため、誰にも助けを求められません。

親にも恥ずかしくて相談出来ないし、ましてや4歳児の語彙力なんてたかが知れてます。どうやって言葉にして伝えれば解ってもらえるのかも分かりません。何とかして伝えても、頑張りなさい、我慢しなさいで片付けられる。いや、何をどう頑張ればいいのか分かんないんだけどなぁ。

悔しいので、ひとりでずーっと本を読みました。幸い家にはたくさんの本があり、それで平仮名や片仮名、アルファベット、漢字を独学で学んでいっぱい覚え、それをノートにひたすら書きまくりました。遊び相手はリカちゃん人形かぬいぐるみ。近所に同世代の子供がいなかったこともあり、人形に話しかけるかなり危ない子供でした(笑)。

おかげで、難しい漢字もたくさん読めたり書けたり、絵本は何冊も丸暗記して、本を見ないでスラスラ声に出したりするまでになりました。歌だって歌詞を何曲も丸暗記してましたので、ずーっと歌ってました。ちなみに聖子ちゃん。親は相当ウザかったと思います(笑)。

発達障害って、特定の分野で相当な威力を発揮するそうです(個人差はありますが)。それが私の場合、記憶力と暗記力だったんだと思います。実際世界地図なんかも大好きで、世界の国名と首都、国旗もほとんど知ってました。今ではそれらは全く役には立ってませんが(笑)。

小学校にあがっても、やはり友達は作れず、毎日イジメられてばかりでした。いちばん辛かったのは、発達障害が世間に全く知られていなかったこと。みんなとちょっと違う変な奴ってレッテルだけ貼られ、あの子ちょっと変だよね、で終わっちゃう。親からも変な子だと思われてたと思う。みんなと同じじゃなきゃいけないのに、私だけ変なんだ。でもどこが変なのか分からない。五体満足だし、病気もしてない。至って健康体。でもみんなと違うからイジメられるんだ。

もういいや、本でも読もう。そうして子供向けの平仮名ばっかりの本では飽き足らず、おじいちゃんちやおばあちゃんちの本棚にあるような、難しい文庫本や百科事典などを貪るように読み、ついたあだ名は漢字博士。生まれてはじめて人に認められるような気分が味わえましたが、それ以外では相変わらずイジメはあったので、辛い子供時代だった事には変わりありません。

ちょっと長くなったので、今日はここまで。

続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?