「諦め」に辿り着くための時間-コマンダンテについての散文-

ただの個人的な感情の話。短い。

2023/5/2、コマンダンテが解散した。解散の少し前、4月中旬頃から安田さんが休み始めて心配で心配で、どうしたんだろう、コロナ?ご家族になにか?不安を消すために毎日YouTubeのトークダンテを観て笑い、石井さんのピン仕事を観に行ったり。そんなところに落とされたネットニュースは言わば「爆弾」だった。
信じられない。なんで?疑問で頭がいっぱいになった。

よく火のないところに煙はたたないなんていうけれど、少なくともめちゃめちゃにわかファンのわたしにとってはマッチ棒サイズの小さな火も感じない日々で、彼らは「劇場にいてくれる」存在だった。たくさんのライブのお知らせでTLが埋め尽くされるのが日常だった。
この鈍さが、考え方がよくなかったんだろうか。推しは推せる時に推せという。相手は生身の人間で、いつなにがどうなるかなんて分からない。それはわたしもあなたも平等に、唐突に訪れる。分かっていたけど、分かっていなかった。

でも、それでも、ひとつわがままを言わせてほしい。もう記事タイトルで言ってるけれど。

「時間」がほしかった。

「解散します」の言葉を聞いた後、半年後か3か月後か、なんなら1週間でもいい。彼らが、コマンダンテが存在しなくなる事実を惜しむ時間がほしかった。寂しい、いなくならないで、ずっとコンビでいてよって言わせてほしかった。喚かせてほしかった。散々喚いて、泣き疲れて、ふたりが決めたことなら受け止めようって、納得させてほしかった。
諦めさせてほしかった。
何の言葉ももらえなくても、「時間」がほしかった。ファンなりたてのぺーぺーのわたしですらそう思うんだから、長年応援していらっしゃる皆さんはなおのことだと思う。

これからも二人のことを応援したい。嫌いになったわけもないので、そんなことは当たり前に思っている。でも、ふとしたなんでもないときに「あー、コマンダンテ、もういないんだ」って思い出すことが悲しい。キツい。いちばん恐れているのは「突然解散した推し」として自分の中でトラウマ的な存在になってしまうことで、そうならないためにも言葉にしておく。

今すぐ納得はできないし、しなくてもいい。時間が解決してくれて、もしくは二人が言葉をそれぞれくれて、これから先どんなに薄くなっていっても、あの衝撃と喪失感は残り続ける。それでも出会えたことの素晴らしさに勝るものはない。皮肉だけれど、出会えてよかった。すきになれてよかった。お笑いって最高だなって思えた。…すきだからつらいんだけど。諸行無常。

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