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売り出す部分


別れた時に、もし、やっぱり復縁しよう、って言ってたら、どうなってたんだろう。


まだ俺のこと、好きだと思うんだけど、って言われた時に、そうだけど、って言ってたら、どうなってたんだろう。



でも、正当化でしかないかもしれないけど、別れたあとの、自分の中で色々考える時間は、すごく必要だった。


今自分が好かれてるのは、その時に直したり変えたりしたからだと思う。


今自分が、自分らしくいれてるのはそこが基になってるなと思ってる。




人に好かれて、気に入られて、嬉しいなと思う時と、思わない時がある。


単純に自分がその人のことを好きか嫌いかで話が分かれるのかと思ってたけど、もしかしたら、相手が自分のどこを好いてくれてるか(を自分で予想して)、それによっても嬉しいか嬉しくないかも変わってくるのかな。



自分の好き嫌いを最近…というかここ3年ぐらい、かなり出している。特に人間関係において。

こういう場は好き、こういう会話は好き。この人は好き。

こういうのは嫌いで、このノリは嫌いで、この人苦手かもしんない。


自分でその自分の好き嫌いを出すことに対する評価としては、

30%ぐらい、キャラ難だなと思う。嫌い、好まれないことを出されるのってしんどいわけだし。

60%ぐらい、自分の健康と自分らしくいるためには、必要なことだなって思ってる。人間関係のキャパが小さい以上、好きな人間関係を保つためには、居心地の悪い場にいる必要なんてない。

10%ぐらい、自分だけじゃなくてお互いのためにいいと思ってる。合わない人間関係なんかさっさか撤退したら、合う人間関係が入ってくるし。あと私が断ろうと、相手にさして影響ないことも多いだろうし。



というわけで、自分の中では、自分の好き嫌いをクリアにして表明して生きてく方針をとってる。

そして今、それはすごく自分にとって心地よくて、自分が好きなもの嫌いなものがわかるのも面白くて、好きなものが増えて、いいことだと思ってる。

八方美人で、嫌いなものも受け入れられるけど好き嫌いのボーダーがあやふやで、自分の好き嫌いがわからなくて何考えてるかわからない、って言われるより断然いい。



それで、そういうふうにしている自分を見てくれた上で、すいてくれてると、嬉しくて浮かれる。


自分の好き嫌いを出してるところが、自分にとっては、自分らしいところで、それを見た上ですいてもらえるのが1番嬉しい好かれ方。

好かれ方に難癖つけるのがこらまたキャラ難なんだけど。




自分の好き嫌いをクリアにして、その上でそれを面白く思ってもらえるってすごいこと。

自分の好き嫌いに興味持ってもらえるのって嬉しいことだよね。