日本のテレビドラマに何を期待するのか~2020年ドラマふりかえり

早く来週になって欲しい…続きが見たい…。
そんな風に思わせてくれたのは、2006年1月クールに放送された、篠原涼子主演「アンフェア」。

アンフェア

これが私のテレビドラマ生活の始まりだった。

人気のない日本のテレビドラマ

昨今、日本のテレビドラマの視聴率は下がり基調から脱出できずにいる。

スクリーンショット 2021-01-03 19.02.31

「アンフェア」が放送された2006年の21時22時台放送ドラマの平均視聴率は13.63%であり、ほとんどのドラマが視聴率10%を超えていた。
これに対し、2020年はコロナ自粛の効果もあって2014年以来の10%台となったが、多くの人々が家に籠ったにもかかわらず、この程度の回復に止まった。

Netflixなど定額制動画配信サービスの普及も相まって、人々の興味は海外ドラマに向けられており、わざわざ日本のテレビドラマを見ようなどという変わり者は少ない。
確かに、海外ドラマは平気的に質が高く(かけられている費用も相当違うのだろうが)、社会的なテーマを正面から扱う作品も多く存在する。

一方、日本のテレビドラマは、流行の俳優・モデル(美男美女)やジャニーズを積極的に起用し、画面上の「美しさ」だけで視聴率を稼いでいるような節もあり、内容は二の次になっている(と見られているように思う)。

いやしかし!
日本のテレビドラマだって優れた作品を作っている!
...ということを、2020年のテレビドラマを振り返りながら書いてみたい。

ただし、私の記憶力の限界から、個々の作品を丁寧に取り上げることはせず、3つの観点から、独断と偏見に満ちた「大まかな見取り図」を書くこととしたい。
(なお、対象は21時22時台に放送されていたドラマで、かつ、私が見ていたものに限られる。)

1.新型コロナウイルス感染症とのかかわり

2020年のドラマを放送するにあたって、やはりコロナは欠かせないトピックとなった。
真っ先にコロナの影響を受けた社会の姿を描いたのは、「MIU404」の最終話であった(主人公たちがマスクを着けて車に乗っている姿を描いた)。

MIUマスク

このほか、「ルパンの娘」「恋する母たち」においても、「自粛」といったワードを登場させ、現実社会におけるコロナ自粛を無視しない選択をしている。

上記作品がほんの少しだけコロナの影響を描いたのに対して、コロナ禍の世界線で作られた物語が「リモラブ」と「姉ちゃんの恋人」であった。

「リモラブ」では、4月の緊急事態宣言後のコロナ禍真最中の様子が描かれた。
本質的には従来と変わらぬ恋愛物語であったが、マスク、消毒、ソーシャルディスタンスなどの「新しい生活様式」を上手に用いてその装いを変えることで、新しいかたちの恋愛ドラマを見せてくれた。

リモラブ マスク

コロナを道具的に使ったのが「リモラブ」であったとすれば、現実の人々のコロナ疲れに寄り添ったのが「姉ちゃんの恋人」である。

「姉ちゃんの恋人」は、仮想的に、コロナが少し落ち着いた世界が描かれている。
お互いに「しんどかったね」「こんなの久しぶりだね」と言い合いながら飲み会をする第1話からスタートして、クリスマスの描写としては珍しく、「誰もが楽しいわけじゃない」ということを強調しながら、登場人物たちがクリスマスイベントの企画を行うストーリーが展開していく。コロナによる失業も、ほんの少しではあったが、扱われた。

本作の登場人物たちはこれでもかというほど優しく、視聴者のコロナ疲れにがっつり寄り添うぞ!という脚本家の気持ちに涙が止まらない作品であった。

2.「切って治す」から卒業する医療ドラマ 

日本の医療ドラマと言えば、医龍、ドクターX、コードブルーなど「とにかくかっこ良い医者」を描くものが主流であった。
これらの作品では、医者が患者の命を救う「生か死か」の物語が展開されており、視聴者は(多くの視聴者にとって)現実離れした“ドラマ”を楽しむ。

一方、2020年の医療ドラマにおいては、より地味な、人々の暮らしと病とを切り離さない作品が目立った。
腫瘍内科医の「アライブ」、薬剤師の「アンサング・シンデレラ」である。

「アライブ」では、がん治療を途中で止めて、晴れやかな笑顔で海外旅行へと旅立つがん患者の姿が描かれた。
最終的に病院で死を迎えるという結末ではあったものの、これまでの「切って救う」物語とは一線を画すると言えよう。

高畑淳子2

「アンサング・シンデレラ」は、各話のエンドロールにおいて、薬を処方された患者のその後の生活を流すという構成をとっており、病と日常生活の連続性を意識させる作りとなっていた。
こちらも、治った/治らなかったというこれまでの医療ドラマとは一線を画する。

なお、同様の兆しは、2019年4月期に放送された「ラジエーションハウス」にも表れている。
同作品は診療放射線技師(しかも医師免許を持っているにもかかわらず、あえて技師として働いている者)を主人公として、「切って治す」前の段階にまで「病」を拡張した物語である。
確かに、現実には、患者にとっては検査をするところから「病」は始まっているのであり、あの不安な気持ちに寄り添う物語が作られたことは高く評価したい。

画像5

3.恋愛ドラマの終わらせ方が変わる

これまで、恋愛ドラマは、紆余曲折ありつつも、最後は男女2人が結ばれてハッピーエンド!(もしくは結ばれずバッドエンド!)というのが基本路線であった。

しかし、2020年のドラマだけを見ても、恋の終わり方は多様化している。
まず、1月期の「知らなくていいコト」では、両想いのはずの二人は結ばれずに終わるが、それは不幸が二人を引き裂いたわけではなく、主人公による主体的な選択の結果である。
(なお、主人公が恋する相手は既婚者であったが、それがいわゆる「不倫ドラマ」のように禁断の恋!的扱いがされていないことも指摘しておきたい。)

また、「恋する母たち」では、3つのカップルが描かれたが、三者三様の結末となった。
①恋人ではなく仕事上の(特別な?)パートナーとなる
②籍を入れず、「一緒に暮らす」
③結婚(しかし、前夫との間の子どもたちはそれぞれに分かれる)

そして、本作は、全員(6人)で円卓を囲むシーンでドラマが終了する。
それぞれのカップルが「成立」して終わり――その後は2人きりの世界…ではなく、開かれた「親密性」とでも言えるようなものの可能性を示唆して終わっている。

画像6

なお、「恋する母たち」の脚本家は「家売るオンナ」シリーズの脚本家でもあるが、「家売るオンナ」は、北川景子演じる不動産屋が、多種多様な共同生活の姿を提供する物語である。
熟年離婚をした女性を「元の鞘」に戻すのではなく、仲良し3人組での共同生活を提案したり、トランスジェンダーの「夫」(M to F)との「婚姻生活」を応援したり、といった具合である。

また、「姉ちゃんの恋人」においても、主人公の恋は成就するが、主人公は2人きりの「愛の巣」(って死語?)を夢見るのではなく、夫の母、自らの弟3人、弟の嫁(主人公の幼馴染)との6人暮らしを夢見るかのような描写がされている。

同クールに放送されたドラマ2作品において、このように類似する描写で最終回を迎えたことは偶然だろうか。。。

2018年10月期放送の「獣になれない私たち」において、(物語の途中では色々な親密性の姿を示唆しておきながらも)最終的には二人きりで特別なビールを飲みに行くという最終回が描かれてから、2年が経ったことの意味があると思いたい。
(野木ファンごめん。個人的にはこの最終回はものすごく根に持っています。)


以上のように、日本のテレビドラマにおいても、単に顔の良い俳優陣を揃えることだけに必死になっているのではなく、現実社会(視聴者)との連続性を意識した作品作りが行われている。


現実との繋がりがドラマを面白いものにする

私見であるが、映画や小説などあらゆるフィクションは、それを受け取った者の思考や行動を変えるからこそ価値がある。
見終わる前の自分と見終わった自分に変化がない作品を見る意味は、ない。

そして、視聴者の思考・行動に影響を与えるために作り手が取り得る手法は様々であるし、私はその専門家でもなんでもないが、私がドラマを見続けていて思うことは、「受け手(視聴者)が生きている現実と物語との何らかの繋がり」の重要性である。
この「繋がり」が視聴者個々人にとって優れている(これは完全に主観的な評価である)場合に、その作品は、各人にとって、良い作品となるのである――少なくとも私の評価軸はここにある。

この観点から上記1~3に再度着目すれば、

1.新型コロナが人々の暮らしに与えた影響は言わずもがなであり、
2.医療ドラマは、より人々の身近な暮らしに近づこうとしており、
3.恋愛ドラマは、現実の多様性に気づき始めたところである。

1.は社会の側の変化を迅速にドラマが取り込んだ例であるが、2.3.はドラマ側がようやく社会を捉えたことによる変化である。

人々の病の経験の仕方が変わったのではないし(医療の進展による変化は確かにあるけども)、性や恋愛事情がいまこの時代に急に変化したわけでもない。
人々は昔から病とともに暮らしてきたし、性や恋愛事情は多様だった。

このように、日本のテレビドラマにおいても、少しずつではあるが、人間・社会の現実と向き合っている作品がある。
(その変化は「恐る恐る」といった感じであるし、2020年で言えば「ハケンの品格」や「半沢直樹」のような「それはいつの時代の話ですか…」と言いたくなるドラマもたくさんあるが。)

日本のテレビドラマのファンとして、その小さな変化を執拗に捉えていくことで、2021年も日本のテレビドラマの可能性を信じていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?