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東京は負け犬の街になるのか

私はとあるメディアの運営に関わっています。

まだ収益化は出来ていないのですが、地元ではそれなりに認知度もある、注目のメディアです。

コンセプトは、「若者、よそ者による情報発信」です。よそ者や若者が、福島県の会津地方のお店や人を取材して記事にします。

私は福島県会津地方出身なので、そのご縁でこのプロジェクトに関わっています。

2019年に順調にスタートしたものの、2020年はコロナの影響で3度もツアーが中止になるなど、辛い状況が続きました。

日本でのコロナが落ち着いてきたこともあり、先日、取材ツアーを敢行してきました。

大学生の若者3人と、若手のリーダーが会津地方に集まり、取材を行いました。

今回、大学生だけでなく、様々な交流がありました。その中で、若い人たちが、私たちの頃ほど、東京に価値を感じていないということを凄く感じました。

優秀な若者たちはやはり、人生がかかっているので、価値を感じたことに対して行動するんだなということが感じられました。

私が若い頃は、その行動とはすなわち「上京」だったと思いますが、今は違うのだなあと。

そしてふと、私が知っている、会津地方に移住した20代から40代の男性の、半数は東京出身だということに気付きました。(そんなに何人も知りませんが。)

2017年から地元と交流を始めて気付いたこと

私は大学卒業後に上京し、東京に住んで18年になりますが、2017年頃に、いろいろ限界を感じたことから、地元の福島県と交流を持つようになりました。

そして、地元の面白さに気付きました。

福島県は浜通り、中通り、会津地方と3つに分かれていて、県の面積が広いので、それぞれに個性的なのですが、どこもそれぞれに特色があって面白いと思います。

人なつっこくて優しい、というのが、福島県としての県民性かなと思います。(浜通りは私はほとんど知りませんが。会津と中通りはそうだと思います。)

会津の人は、会津人という意識が強いですが、福島県にも帰属意識があります。今は私は出身地である会津地方を中心に活動しています。

私が今40歳で、年上も年下も、いろんな人がいて、いろいろやっています。

地元出身で家業を継いだ人たちは、商工会に青年会議所、その他、様々な組織の活動が活発で、横のつながりがあって、東京とは全然違う世界観で動いているということが感じられますし、例えば、お祭りやイベントを開催する目的ひとつ見ても、自分の成功ではなく、地元の子供たちのため、だったりと、精神的に豊かなのは間違いないです。

移住者に関しては、目立つこともありますし、積極的に行動するから、ということがまずあると思うのですが、地元の若者よりもより、多くのチャンスを与えられ、成長の機会をつかんでいるように思えます。

今回のツアー中も、田舎は閉鎖的だと思っていたけど、むしろ開放的に感じるという趣旨の言葉が聞こえてきたのが印象的でした。

そういったことを見るにつれて、今は、東京にいるよりも、地方にいた方が、成長の機会が得られやすいのではないかと感じています。

会津地方については、米を始めとした農作物や、日本酒など、日本どころか世界で通用するであろうレベルの商品が多いのにも関わらず、かつては賊軍だったという歴史的背景に、奥ゆかしい会津人の精神が加わって、宣伝がうまく出来ていない現状があります。

カードが強いので、ちょっとやれば大きく勝てる可能性がある、とくに私のようなWeb関係の仕事の場合は、というのが、最近、すごく感じています。

まあ、ちょっとといっても、ちょっとではないのですが、少しずつ成長していける機会があるのではないでしょうか。

都心の住宅街の公園やカフェで感じること

私は少し前まで、田舎者のミーハー根性で渋谷区に住んでいました。

今、住んでいるところは、近くに新宿区の豪邸のエリアがあります。

私は12年間フリーランスで、自宅やコワーキングスペースで働いているのですが、カフェも使いますし、図書館にも行きます。

渋谷区、新宿区の図書館の雰囲気は、行ったら分かりますが、他に行く場所がなく、やることもない、リタイア世代の男性が時間を潰すための場所になっています。

特に図書館はすごいです。

図書館や、安いカフェだと、理不尽に他のお客様を叱りつける男性がいたりします。

最近、高級住宅街の公園の入り口で鉢合わせた、上下スエットだけど、少し前までは仕立てのいいスーツを着ていたに違いない高齢の男性は、私が、道をよけないことに戸惑っているようでした。

私に対して、道をよけて頭を下げるべきだろう、と、思っているんじゃないだろうかという顔をしていて、ただすれ違っただけなのに、私はとても不快感を感じました。

いやもちろん、私だってそんな、お年寄りに意地悪をする気はないので、道は譲りましたが・・。

譲り合うとか、道を譲ってくれてありがとうと会釈をするとか、そういうのって無いのかなと思いました。

少し前に車を暴走させた元官僚の高齢の男性が大きくニュースに取り上げられましたが、あれは特別な男性ではなく、都内にはたくさんいるのではないでしょうか。

東京で戦って老いる、というのはそういうことなんだなと思いました。

地元だと、定年はあっても、例えば畑だったり山登りだったり山菜採りだったりと、年を取っていても、身近にやることがいろいろあるので、元気いっぱいな方が多い印象です。

会社に依存した生き方をしていない、自立して自分の人生を切り盛りしてきた人の数がおそらく東京より多くて、お祭りにしても、私が子供の頃までなら、冠婚葬祭にしたって、なんでもみんなで協力してやることに慣れているので、そういう意味でも、定年が、東京より大きな意味を持たないということがあるような気がします。

私はこれからどうしようかなと思います。老いていくだけならとはいえ、私は都会でもいいし、都会の方がいいような気もしつつ、東京に元気がなくなるなら、地方が面白いなら、そっちでチャンスをつかんで、しがないフリーランスから脱出して、一花咲かせられないだろうかとも思います。

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