異界の少女と文車の妖の閑話
都市伝説「すたか駅」をモチーフにした作品です。
じりじりと日が照りつける線路を歩いていると遠くに見覚えのある駅舎が見えた。
思わず駆けていくと、プラットホームにひとり佇む青色のワンピースの少女が僕に気付く。
いらっしゃーい、と笑う少女に僕は手を振る。
「お久しぶりだね、本当に。」
「ずっと来れなくてごめんね。玉ちゃん。」
玉ちゃんは満面の笑みを浮かべて、待ってたんだよ、上がって上がってと線路に立つ僕を駅舎に招く。
高さがあるのでなかなか思うようにのぼれない。
ズボンを穿いてくればよかったな、とこの瞬間はいつも思う。
やっと這いつくばるようにしてのぼれて肩で息をする僕を見て玉ちゃんはくすくすと笑ってちょっとそこで待っててと青いワンピースを翻して奥へ消えた。
「ふう」
僕は背負った大きな風呂敷包みを肩から降ろす。
大きな風に、ざあああと駅舎の周りの枯れた芒が音を立てる。
ぽたりぽたりと汗が地面に落ちる。
人気のないプラットホームの中はひんやりとしていて気持ちがいい。
「ひいちゃん、こんな炎天下の中歩いてきて大変だったでしょう。」
玉ちゃんがグラスに麦茶をついで戻ってくる。
ありがとう、と受け取るとグラスの中の氷が僕の手の熱でからんと動く。
「今日はね、すたかさん居ないからゆっくりしていって。」
ふふんとなぜか得意げにする玉ちゃんについ吹き出してしまう。
「玉ちゃん、なんか一段とすたかの奥さんみたいになってない?」
指摘されて気づいたのか玉ちゃんの顔がぼんっと音を立ててみるみる赤くなる。
「そ、そんなことないもん!」
くるっと背中を向けて丸まった彼女にちょっと言いすぎちゃったかなと反省しつつ風呂敷包みを解く。
「あ、そういえば、玉ちゃん。」
「…なあに?ひいちゃん。」
玉ちゃんはむっとしたままゆっくり振り返る。こうしてなんだかんだで素直で優しいところ、好きだなあ。
「ランドセルにつけてたお守りの糸が切れそうだったよね。今日は裁縫セット持ってきたから直せるよ。」
「やった!」
ぱあっと咲いた花の様に明るい笑顔がすっと強張っていく。
「あ…せっかく持ってきてもらったのに…あのお守り、この前落として無くしちゃったんだ。」
「そっか、僕が来るのが遅かったから…」
あのお守りは玉ちゃんがずっと大事にしていたから直してあげたかったのに。
「ううん、ひいちゃんのせいじゃないよ。」
眉を下げて悲しそうに玉ちゃんが笑う。
外が明るいせいで薄暗いプラットホームはますます暗く感じる。
プラットホームの端に腰を掛ける僕の隣に玉ちゃんがそっと腰を落とす。
静まり返った駅舎には僕ら以外誰もいない。
遠くの遠くで微かに蝉が鳴いていて駅舎の周りでは名前も知らない青草が伸びている。
ここにもちゃんと四季は巡っているのだ。
現世から切り離されたこの小さな箱庭にも。
それでも。
隣に座って目を伏せる玉ちゃんを見る。
前会ったときは、ポニーテールできるほど長かった茶色の混ざる黒髪は、バッサリとショートカットになっていた。
「まさかとは思うけど失恋した?」
「失恋…かも、ね。」
すう、と目を開く玉ちゃんの瞳は墨を流し込んだように真っ黒だった。
前よりもずっと。
染まりすぎている。
「ねえ、もう帰ろうよ、僕なら現世への帰り道を知ってる。玉ちゃんが律儀にこの駅舎にいる必要なんて無いよ。」
「駄目だよ。もう。」
ちょっと遅すぎたかなあ。そう言ってへらりと玉ちゃんは笑う。
「私がいなくなっちゃったら、すたかさんはきっと死んでしまう。」
「すたかに同情してるの?なんで?だってあいつは、玉ちゃんを攫ってこの駅舎に閉じ込めたのに。」
玉ちゃんの肩がきゅうっと縮こまる。
前に会った時よりも、その前に会った時よりもずっと玉ちゃんの顔色は青白くなっているし、生気がなくなっている。
僕はすたかを許さない。
同じ人外として、玉ちゃんみたいな子をいい子を狙ったすたかを許さない。
「すたかなんて無茶して死んだって自業自得じゃん。」
玉ちゃんは、どこにでもいるような元気な普通の小学生でこれからも人並みにまっとうな人生を生きていくべきだったのに。
「ねえ、玉ちゃん。このままじゃ死んじゃうよ。普通の女の子がこんな場所長時間居るべきじゃないんだよ。この場所は毒なの。死んじゃってからじゃ遅いんだよ。」
「…ひいちゃん。私はもう普通の女の子じゃないよ。」
玉ちゃんは抱えた膝に顔を埋めたまま言う。
「私はもうここで何年も生きてる。もう普通じゃないんだよ。」
「玉ちゃん…」
しゃわしゃわと遠くで蝉が鳴いている。
沈黙を破ったのは玉ちゃんだった。
「ねえ、ひいちゃんが今日持ってきてくれたもの見せて。ここは何にもないからずっと暇なの。」
「…今日は、本をいっぱい持ってきたよ。後は、ビーズとか。」
「本!読みたかったの!ありがとひいちゃん!」
「僕セレクトだからちょっと難しいのが多いかもだけど、長編で退屈しなさそうなやつだよ。」
風呂敷の中から取り出した本を日に透かして題を読むと玉ちゃんはんんっと顔を顰めた。
「…源氏物語。」
「古典の恋愛って結構好きなんだよね。僕はこれでも恋文から生まれた妖だもの」
僕がくるりと回ると白いスカートはひらりと広がる。
「うん、頑張ってみる。難しそうだけど。」
「今は難しくてもきっといつかは読めるからね、分からないところは僕が教えてあげる。」
「ありがとう、ひいちゃん。」
お土産を奥の部屋に持って入って、代わりにお煎餅の袋を持ってくる。
「食べよ!」
僕らはまたプラットホームの端に腰をかけてしばし世間話に花を咲かせる。
「すたかさんはね、案外優しいし、その、王子様みたいなところがあるんだよ。」
「えぇ…」
言ってから照れて俯いて足をバタバタする玉ちゃん。
異世界駅が一つ、『すたか駅』は駅舎に人を迷い込ませてはその人間から記憶を消して仲間にしていくかなりねちっこい性質の怪異で、真っ黒の髪を耳を覆うほどに伸ばして真っ黒の目をした不気味な男だ。
「お守りを無くした日ね、ショックで駅舎から出て街のほうまで行っちゃったんだ。」
駅舎の入り口からは西に向かって少しばかり街が続く。
記憶を消されて仲間にされた人々がその街に住んでいる。
「泣いてたら、すたかさんが探しに来てくれてね、泣き止むまで傍にいてくれて、それから、帰ろうって言ってくれたの。」
「すたかが?」
僕はあいつが呪詛を吐いているところしか見たことがない。
「だからって玉ちゃんはこんなところにいるつもりなの?ずっと?大人になっても?」
俯いた玉ちゃんの首が浅く頷いたように見えた。
「玉ちゃん、ここはもうすぐ壊れると思うよ。」
「…」
玉ちゃんは何も答えない。
僕はここぞとばかりに玉ちゃんに語り掛ける。
「ここはすたかが死んだら消滅してしまうんだよ。」
「すたかは、他の異世界駅を恨んでいるし恨まれている。」
「すたかがいくら人を拐かして力をつけたって一対多数で勝てるわけがないよ。」
「すたか駅という怪異は遠からず消されてしまう。」
「僕と行こう?僕が今お世話になっているお家は甘味屋さんなんだ。」
「美味しいスイーツがたくさんあってね、玉ちゃんに食べさせてあげたいんだ。」
「帰るところもきっと見つかるよ。」
「ねえ。」
「このままじゃ、すたか駅と一緒に消されちゃうかもしれないんだよ。」
「玉ちゃん、玉姫様。」
「そうだよ。私は玉姫。」
玉ちゃんがゆるりと首をもたげて言う。
「その名前はすたかさんに貰ったの。」
「…私だって他の皆程じゃないけど、もう昔のことほとんど覚えてないんだよ。家族のことも自分の名前も。」
「こんな私が今更帰るところなんてないよ。ごめんね。ひいちゃん。」
今度は玉ちゃんは笑っていなかった。
「そっか、玉ちゃんがそれを選ぶなら、僕はそれ以上何もできないよ。」
嘘だ。
僕はきっとこれから先もずっとこの子をすたかから奪い返そうとするんだろう。
でも玉ちゃんはもう二度とここから離れないような気がした。
あの日、家に帰りたいと泣いていた少女はもういなかった。
何にもない駅舎の中はシンと静まりかえっていて寂しかった。
プラットホームの向かい側、少し開けたスペースを指さす。
「今度は朝顔の種でも持ってこようか。」
花も無いのは寂しいでしょ。
「でも次ひいちゃんが来てくれるのはもう冬とか、もしかしたら春とかなんでしょ」
夏じゃなきゃ意味ないよと玉ちゃんは頬を膨らます。
「朝顔はね、夏より前に撒いとかなきゃ夏に花は咲かないんだよ。」
「あ、そっか、そうだよね。忘れてた。」
小学校で育ててたのに。と呟く。
「…忘れたらね、思い出せばいいよ。僕は、また玉ちゃんに会いに来るから。」
夕日の照らす茜色の線路に降り立った僕に、玉ちゃんは、電車なんてめったに来ないけど気を付けてね、と念を押す。
「大丈夫だよ。僕を誰だと思ってるの?」
「私を助けてくれようとした優しくて強いお姉さん。」
可愛いやつめ。
くしゃくしゃと頭を撫でると玉ちゃんは眉と眼尻を下げてふにゃりと笑う。
玉ちゃんの笑顔は、今はまだ荒れ果てた冷たいこの駅舎の中で咲く唯一の花だった。
「今、別れてもいつかは一緒になれる。だなんて嘘でしょ。バラバラに川を下ってしまえば、流れることが叶わず小さな水溜りで一人だけの世界にこもってしまった貴方に、もう二度と逢うことなんてできない。そうでしょ。」
「私は私の決断をきっと後悔なんてしない。」
担当和歌 77番 崇徳院
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思う
ー川の流れが速いので、岩に裂かれた川の流れの様に、2つに別れたとしても、最後には一緒になろうー
百人一首アンソロジー さくやこのはな 参加作品
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