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『写真家』になる方法。

SNSをやっていると、いろんな人に出会う。

・趣味で写真を撮っている人
・写真を通じて活動をしている人
・写真を撮って生計を立てている人。

私がまだ写真を撮り始めた一年半前。

『写真家』と名乗るには、すごく大きな壁があったと感じている。

『何をもって、写真家というのか』は、人によって基準は曖昧だと思う。

私もその、『写真家』になりたい一人だ。

『写真家』としての一番の理想の姿は、『写真だけを撮って生計を立てること』。

でも、今の仕事もそれなりに気に入ってるし、今回のコロナのことがあって『選択肢があるということ』の有り難みを実感したばかり。

いつ何が起こるかわからない世の中だからこそ、自分が切れるカードの数は多いに越したことはないのだ。

自分の遠い理想と、現実はまだまだギャップがある。

今はそれを少しずつ埋めている最中だ。

.......

『どうしたら写真家になれるだろう』

具体的なプロセスを探るため、私は写真家が特集されている雑誌を読み漁った。

その中でも森山大道さんの考え方は、好きだった。

常にカメラを持ってる、常にシャッターを切ってる。

1日に1000枚は超えると。

必ず時間を見つけて、写真を撮りに行っていること。


『あぁ、これがきっと答えなのかな』と感じた。

普通に考えて、誰でもできることではない。

やっぱりそれだけ『写真は自分自身』なのだなと感じた。

私もその考えには同感だ。

作風は違っても、少しでも近い部分を見つけることができて嬉しかった。

では、枚数を撮っていれば写真家になれるのか?

結果、そうではない。

『撮る』ことは、『撮れる』ということ。

普通の人なら、1日に1000枚以上なんて考えられないし、撮れないと思う。

スタイルが違うにしろ、『撮れる』ということは何よりも強い。

それだけ、いろんなところにアンテナを張れているということだし、様々な角度でそれをとらえることができる。

『写真を生きる活動の一部にする』ということが、私の感じた答えだと思う。

まずは、そこからがスタート。

私はフィルムという物理的制約はある。

けど、それでもカメラは肌身離さず持っていようと改めて感じた。


『写真家』の定義は曖昧だけど、私が『写真家』を名乗るのは、『そうでありたい』という願望に近い、覚悟だ。

もっと撮る枚数を重ねて、自分自身の写真というものを抽出していけるようになりたいな。


サポートいただいたら、フィルムや現像代、元気を出すためにドーナッツ代とさせていただきます🍩