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習慣が人をつくる

私は、昨年の2月〜6月までクルミドコーヒー・胡桃堂喫茶店の店主であり、「ゆっくり、いそげ」の著者でもある影山さんのもとでインターンシップをしていた。

インターン中は主に2つのことに挑戦させていただいた。

①「クルミド百貨店」というオンラインストアについて
https://festina-lente.stores.jp/

②そのオンラインストアでのオンラインイベント「『ゆっくり、いそげ』朗読会」の進行役
https://m.youtube.com/playlist?list=PLPTse-7kNNKWxaCD-oHTxWV-T--Wn-H2Z

朗読会は半年経った今、公開にしてくださっている。つたない進行にもかかわらず消さずにとっておいてくださっていることが嬉しいですし、なにより1時間半を全10回という長い時間全力で向き合ってくださり、一緒に準備をしてくださり、お忙しい影山さんがご一緒にやってくださったことへ、感謝の気持ちでいっぱいです。

インターンを昨年6月に終え、最後の振り返りで影山さんからお伝えいただいた言葉がある。それは「人をつくっていくのは思考でも行動でもない。習慣が人をつくるんだ。」という言葉だった。正直当時のわたしにとってこの言葉はものすごく耳が痛い言葉だった。なにかをコツコツと習慣化していくこと。それは私にとって最も苦手なことだった。そして、今まで思いつく限り、一夜漬けや付け焼き刃でこなしてきたことはたくさんあった。だからこそこの言葉は半年経った今でも心に深く残っており、これからもずっと大切にしたい言葉である。

そしてインターンを終えて半年間、一体なにを習慣化していったらいいのか考え続けた。そして結果、わたしがこれから習慣にしていきたいことは「答えなき問いを考え続けること」だと思った。少しの時間でもいいから日々考え続けること。私は大学時代から「考える時間が足りないよ。」と言われることがよくあった。それはほんとうにその通りで、答えのない問いを考え続けると、考えても答えが出ないからそのうち考えることへ疑問すら感じてきてしまい、放棄してしまうことがよくあった。でも朗読会がうまくいかなかったのは間違いなく、問いをたてる力不足と考える時間の足りなさだと今振り返り思うのだ。考えるには問いがいる。考える時間が足りないから問いのたてかたがおかしかなっていたのだろうと思うのだ。でも当時の私にはいくら考えたって答えなんてないため、答えなき問いをたてることがとても難しかった。答えを教わりたい気持ちになってしまった。つまり進行役にも関わらず完全に「答えを教わりたい」という受け身だったのだ。その姿勢は変えていかなくてはならない。問いを主体的にたて、その問いについて自分なりに考え続けていきたい。

「答えがないのになんのために問いを考え続けるの?」そんな声も聞こえてきそうに思う。別になにか特別な目的があって考え続けようと決めたわけではない。もしかしたら考え続けたらいつかその問いがなにかと結びつくかもしれないし、自分の中でその考え続けた問いが他人事じゃなくなってだんだん自分ごとになっていくのではないかと思う。長いこと時間をかけて考え続けることによって当事者意識が芽生えていったり、いろんなアンテナがたったり、そういったこと自体に意味があるのではないかと思う。

きっと社会問題っていうのは、そんな簡単な単純な問題じゃなくて複雑に絡めあっていて、だから問題になっている。きっと明確な答えがあったらその社会問題はとっくに解決しているのだろう。でも今の私にはジブンゴトとしてチャレンジしてみたい社会問題がまだよくわからない。だからこそどんな社会問題があるのかまずは知ること、そしてそこで答えなき問いたててみてはそのことについて考え続ける習慣を作ること。これが大切なのではないかと思う。

そして1人で考えるには頭が足りないし、経験も足りない。だからいろんな方に会いに行き、いろんなところへ足を運び、いろんな方と話してそうしていくうちにいろんな考え方を知る。そういうことも大切なんだろうと思う。

たぶん考えなくなっても、生きていけるだろう。けどそうなっていったら、きっと言われたことを言われた通りになにも考えずにただこなしていくことになる。そうしたらいつかどんなことを言われても、何に対しても、違和感を感じられなくなって、黙々とこなすロボットみたいな人間になってしまうのではないか。そして日々社会の中で起こる社会問題がずっと他人事のままになってしまうと思う。そうならないためにも日々の中でなにか感じた違和感は見過ごさずにじっくり考えていきたい。そして答えなき問いにしっかり向き合っていきたい。そしてそのことを習慣化していきたい。

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