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秋が短い長野生活

最近の小布施はめっちゃ秋の気配。

日中、太陽が出る時間帯は、まだまだ夏日を感じる瞬間もあるけれど、明け方・夕方の太陽が少し弱まる時間帯は、ほんのり涼しくて全く嫌な暑さを感じなくて、ただただ最高の環境になる。

これがもう少し進むと、日中もただただ最高な環境になって、朝晩が冬に近づく。むしろ秋を感じてしまってからの冬入りがものすごく早い。毎年、地元の人たちも「年々、春と秋が短くなっている気がする」って言っている。

あのガンガン暑かった夏の山場を超えて、毎日のように秋の気配を感じるから、会う人会う人と「いい気候ですね〜」って話題をしている。

たまたま昨日もその話題になって、「もっと秋が長かったらいいのに〜」みたいな話をした。でも昨日は、いつもと違った返しが返ってきて面白かった。

短いからこそいいと思える

相手は長野県民で、ここの環境はもちろん、ここより少し春秋が長いエリアでその時を過ごしたこともあったらしい。その経験があったからか、

『春秋が長い環境で過ごしていると、すごくポカポカ、フワフワ、浮かれたような気分になって、ぼけーっとしちゃう。ぼけーっとして、ダラダラ過ごしてしまう。だから、心地よい環境は、少し楽しみがあるくらいが、1番ありがたみを感じられるのかもしれない、と思った。だから、これくらい短くて、いい。』

もちろん毎年、ここの春秋には待ち遠しさと、過ごしやすさは実感していたけど、“短いからこそありがたみを感じられている“って考えになったことがなかった。新たな発見だったし、それって人生にも言えることなのかもって思ったりした。

自分の人生も…!

これまでは、比較的短いサイクルのカリキュラム、プロジェクトに関わることが多かったと思う。学校教育自体が数年だから、数年で結果が出てくるもの、数年で春夏秋冬を感じられるサイクル。

でも、この歳になって、長期的なもの、10年くらいかけて春夏秋冬を経験するようなものに移行し始めたのかな、って。ここ数年で経験したのは、明らかに長期的な目で見た時の夏か冬の年だったなあ〜なんて思ったり。

きっとほんのわずかだけど、たった数ヶ月かもしれないけど、私にも春秋を感じられる瞬間が来るだろう。

でも、たぶん、その短い春秋を最高だと思えるのは、厳しい夏冬の経験がないといけない。し、絶対自分を厳しい環境に追いやらないといけないってわけでもない。その環境度合いを自分で選べる、ってこと、自分で自分をデザインできるのも大切だな、って思った。

自分はまだまだ、長野の1年の四季を過ごすことさえも、もがいている最中である(笑)

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