与える喜び
妹が先日出産した。遠方なので直接は会えてないけど、送ってくれる写真やテレビ電話、LINEの文面と過去の自分の記憶と重ね合わせて「あー今彼女は今までに感じたことないような幸福感と与える喜びに満ち溢れているんだろうなー」と思ってそれを思う度にジーンとなる。
そしてこの先もその喜びは続く。本能レベルでこどもを守るとか育てるっていうプログラムが母親には存在するんだろうけど、それとは別に喜びという想いからたくさん与えるんだろう。わたしもそうだったろうし、今もそうだろう。
喜びもある一方で現実的にはいろいろあって、はじめての育児で戸惑うこと、不安、夫へのイライラなどなど、本当にいろんな感情が渦巻いて、そして何度もやってきてはすぐに過ぎ去る。そしてまたやってくる。ある知り合いの人が感情のことを「蝶々のようにふわふわやってきて過ぎ去るもの」と表現してたけど、出産後のそれは蝶々よりもっと動きが俊敏でかつ何匹も群れていなくなったり現れたりする小さい虫(名前はよくわからないし例えもいまいち感でも夏によく出るやつ笑)
妹、そして過去のわたしに言いたいことは、自分の中にある感情をなかったことにしないでほしい。なかったことにすればするほど、与える喜びは「与えるべき」にかわり、喜びから与えることが遠いところにいってしまうから。与えることが苦痛になり、そう思うことに罪悪感を感じ、、、と負のスパイラルに陥る。。
いつも喜びや幸せに満ち溢れていたら理想だけど、そうもいかないのもまた現実。それでもそういう瞬間を多く持っていたいなら、やってくる感情はなかったことにしない。自分で抱きしめて、息を吐くように吐いて、そして空気を吸うようにまた入れる。わたしもまだまだ練習中。抱きしめる心地よさも、もやもやを抱えつづける不快さもいろんなことを感じ中。
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