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自分のファッションを振り返る2

1はこちら。

さて、高校を卒業した私は福祉系の専門学校へ進みました。学校は私服です。入学式はクリーム色のパンツスーツを着たように思います。周りも思い思いの服装でした。
福祉系=ダサいと勝手なイメージを抱いていて、これなら浮かないと安心していた私ですがおしゃれな子もいてショックを受けたものです。
またジーンズにTシャツだけなのにカッコいい女の子もいました。
電車通学だったので街へ出かける機会も増え、自分なりにプチプラの服をやりくりして通学していたと思います。
それでも田舎者に見えたのでしょう。遠方の大都市から通う友達がブランドの話をしていて、私に向かって「アニエスベーってわかんないよね」と言われたことは今でも覚えています。
知っていましたが、そうしたブランドの服は持っていなかったし自分には縁のない物でした。私にとってはかわいい子が身に着ける物なのです。
かわいい子たちのグループに金魚の糞のようにくっついてる私といった構図ができていきました。

ただ、2年の秋ぐらいに偶然TM NETWORKが好きな同級生と仲良くなりました。たまたま一人で駅のホームで電車を待つ間、ウォークマンで歌を聴いている私に彼女が声をかけてくれたのがきっかけです。
私もTMが好きなのだと彼女は喜び、帰る方向も同じだったので二人でキャッキャしながら帰ったことを覚えています。また、彼女がいるグループの子たちとも話すようになりました。
少しの間でしたが、グループにとらわれない付き合いができていたと思います。
彼女とは卒業後も付き合いが続き、最近まで年賀状のやり取りをしていました。
また、最初に書いたジーンズとデニムが似合う彼女とも時々話をし、本の貸し借りをしたことがあります。
私が書いた一人旅の紀行文を読み、とても良かったと喜んで、感想をしたためた手紙と一緒にこの本をあげると渡してくれました。
彼女は独特の雰囲気、そして今でいう自分軸を持っている人でした。
クラスに一人はいる大人びた女子、でも近づきがたい感じではない。化粧っ気もなく、着ているTシャツが素敵だと話すとこれは近所のスーパーで500円だったのだと笑う人でした。
また、成人式の着物の写真を見せ合い盛り上がる中、彼女はみんなきれいだね、私はTシャツとジーンズで参加したと笑っていました。ジーンズはリーバイスのいい物を履いたと言い、それもとても彼女らしく、その時、似合うファッションは内面からくるものと言うのを漠然と知ったように思います。

「心から好きな服や、なりたいと思う姿は外見にもぴったりと似合うのだな」と、大切なことに気が付いたのです。

「一年3セットの服で生きる」より引用

彼女はまさに体現していたと思います。言い方は悪いですが、めちゃくちゃおしゃれなわけではない、でもとてもかっこよかった。
彼女はどこかのグループにべったりと入るわけではなく、かといって孤高の存在でもない。学校の他に自分のやりたいことをやっていたことが大きいと思います。
卒業後、彼女はずっと付き合っていた男性と結婚し、福祉とは全く違う職業に就きました。それもとても彼女らしいと思います。お子さんが生まれたと送ってくれた家族写真はとても幸せそうでした。

そんな感じで、憧れを持つ人たちはいたものの自分のファッションにそれを反映させると何かが違います。
社会人になってもそれは変わらず、私はコンプレックスだけを募らせていきました。

社会人になって数年後、一人の男性と付き合い始めました。
彼は年上で、女性に対してこうとイメージを押し付ける人でした。私が自分なりに考えてミニスカートを履くと禁止令を出し、リュックを持つとそれも禁止だと言いました。子供っぽく見えて嫌だと言います。私は初めてできた彼氏に振られたくなくて言うことを聞いていました。
正直、楽しくなかったです笑
その彼とは3か月ぐらいからだんだんと疎遠になり、二股をかけられていることが判明して消滅しました。
その落ち込んでいる時に出会ったのが、ロック歌手の田村直美さんですがこの話はまた機会があれば。

両親は心配して見合い話などを持ち掛け、数人と会いましたがいずれもうまくいきませんでした。
相変わらずファッションは迷走中。無難な服ばかりを着ていました。働いていたのでそれなりにお金もありましたが、貯金をして家にもお金を入れ、あとは好きな音楽CDを買ったり本に費やしていました。
ブランド服を始めとしたファッションは私には縁遠い物でしたし、かわいくも綺麗でもない私がそんな服を着るのは服に失礼だと思っていました。

ただ一つ、覚えていることがあります。
母がとある服の販売会に誘われたので、私も一緒に出掛けました。というか母は車を運転できないので乗せていきました。
自宅の一室で開催されていたその販売会は紹介制で母は会社の友人に誘われたそうです。
そこで一着のセットアップを見つけました。


当時の値段で3万円ほどしたと思います。そんな高価な服は私には似合わないので、見るだけでした。するとお店の人に試着を勧められました。試着=買わなきゃの思考なので即座に断ります。付き添いだし、と。
しかしあろうことか母が着てみたらいいのにというのです。似合いそうだと。いやでも買えないし…(買えるぐらいの給料はもらっているが、自分には服にお金を使う価値はないと思っているため)というと母が私が買ってあげると言います。びっくりしました。
そしてそこまで言われてはと試着をしたそれは、私が初めて自分でも似合うと思う服でした。
その服は一点物でしたが、サイズもぴったりでした。
母もよく似合う、買ってあげると言います。私は頷くしかありません。お店の人は似合う人に着てもらえてよかったと言いました。

…私にもそういう服があったんですね(いまさら)
ちなみにその服は今でもクローゼットにしまってあります。サイズアウトしてしまって着ることは叶いませんが、今でも大事な服です。

タイトスカートもセットです。

それから数年もしなかったかもしれませんが、三十路も近いのに男っ気のない娘を心配した母がまた見合い話を持ってきました。
同じ福祉系の仕事をしている男性だと言います。かねてから同じ仕事の人とは結婚したくないと言っているのになあと思いましたが、母の友人からの紹介では断れません。一度は会うことにしました。

ホテルの喫茶室で紹介人を介して会った彼の最初の一言(挨拶はしてから)「介護職されてるんですよね。食事用のエプロン、洗うの大変じゃないですか?」
「…。めっちゃ大変です!数は多いし乾かすのが大変。乾燥機使えないし」(介護用の食事エプロンは乾燥機にかけると撥水加工が取れてしまうのです)
「ですよねー!」
それが今の夫との出会いで、すぐに意気投合し、3回目に会った時にはプロポーズされました。
同業は嫌だと思っていましたが、逆でした。
同業故に仕事の悩みや、夜勤明けのしんどさなども理解してくれるのでとても楽だったのです。また義母も同じ仕事をしていたことがあり、大変だからと家事育児をよく助けてくれました。

そんな夫は私がいつも長いスカートやパンツルックでデートに来るのを見て、「りんちゃんはミニスカート履かないの?」と言いました。
足も太いし、かわいくないからと言った後、なぜかポロリと前に付き合った人からミニスカートはだめだと言われたしと言ってしまいました。彼にはそうしたことを話してしまう不思議な穏やかさがありました。
彼は憤慨して「何て奴だ、俺はミニスカートを履いたりんちゃんがいい。女の子はミニスカートを履くべきだかわいいから」と実に素直に言いました。
同じ断定ではありますが、何か違います。
そして彼はミニスカートを履いた私を見てにこにこしていました。
彼は大学時代をDCブランドで固めてきた人で、また彼の父も定年後に百貨店のブランドショップ(ニナリッチだったかな)でアルバイトをしており、いい服を買って長く着るタイプでした。
ただ、私の「自分は安い服でいい」は根強く、今も夫にいい服を買いなさいとよく言われます。
それに対して「似合わないからいい」と買わない私。
そんな私がリーガルの靴を履きたいと言ったので、夫が一緒に見に来るのも道理で。

ここに来るまでもいろいろありました。
黒歴史もあります。
ファッションを振り返るということは、自分を振り返ることでもありますね。

そして書いた今、ようやく「心から好きな服や、なりたいと思う姿は外見にもぴったりと似合う」が腑に落ちたように思います。
自問自答が必要な意味も。

あきやさんに出会うまでの道のりはまだまだ先ですが、何だかこれで大丈夫だと思いました。大丈夫。

また続きを書くかもしれませんが、長いし笑一度切りますね。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!


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