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ITとローカルコミュニティとは融合する!?/CODE for AIZU(前編)

Photo by Toshiya Kondo @civictech forum(CC-BY)

「口だけでなく手を動かしてきましたがダメでした。今は足を動かしています。活動から2年がたった今、たどり着いた先は自分たちが地元の活動へ顔をだすということです。」

これは、2015年3月29日(日)に行われた「CIVIC TECH FORUM 2015」の「ITとローカルコミュニティとは融合する!?」というセッションで登壇されたCODE for AIZUの藤井さんの言葉です。

私は藤井さんの言葉をきいて、北海道で地域活動している友人のこの言葉を思い出しました。

「地域にはいくつもコミュニティがすでに存在しているもの。テクノロジーを有効に活用するには、新しいものを作るのではなく、すでに存在しているコミュニティの中にはいり、問題を解決していくといいのかもしれない。」

CODE for AIZUは、最初は自分たちの言葉で発信や活動をしていました。けれど、それではうまくいかず、試行錯誤の結果、まさに「コミュニティの中に入る活動」が導き出された気がしたのです。その部分をもっと詳しく知りたいと思い取材してきました。この記事は「CIVIC TECH FORUM 2015」でのお話だけでなく、独自に取材した内容も盛り込んでいます。


■自分たちの言葉で発信や行動を繰り返しても地域とは交流出来ない

CODE for AIZUでは、「オープンデータ・カフェ」という場を作り、オープンデータに関するインプットやディスカッションを通じて、サービス創出に向けたアウトプットを目指すオープンな勉強会を開催していました。第1回目は2013年9月に会津大学にて行われ、第2回、第3回…と第8回まで続きましたが、会を進める毎にある問題意識が生まれたそうです。それは、「オープンデータに興味のあるIT関連の人達は集まるものの、実際に利用するであろう地域の人達の意見を聞ける場になっていないのではないか」という問題意識です。

また、地域を良くするためには口だけではだめなので、手を動かしていこうとOpenAppLabという「学生や市民がアプリ開発を学ぶ場」を作りました。そこでは、オープンデータを使って複数のアプリを生み出しましたが、使ってもらえるものはあまり生み出せなかったそうです。ただ、アプリを作ったことで気付きがあったとのこと。

「消火栓アプリを作ったことで消防団の方との会話がうまれ、地域で活動している方はどんな情報が欲しいのか?などをヒアリングすることができました。また自分たちがどんなことができる団体なのかの伝えることができたと思っています。」(藤井氏)

実際に作られた物があると、意見ってもらいやすいですよね。作られたサービス(アウトプット)は、たとえ使われなかったとしても、市民とのコミュニケーションを得られる一つのきっかけとなり、自分たちがどんなことができるのか伝えることができたのであれば、それはとても大きな成果だったのではないでしょうか?

手を動かすというのはアプリを作るだけではありません。コードがかけなくてもExcelは使えるという人は多いのではないでしょうか?

「町内会の会員でのやりとりを紙でやっていたので、これをExcelに落とし込んだんです。そしたらとても町内会の方に喜ばれました。その時に"これこそシビックテックだ!"と気付きました。」(藤井氏)

これらの活動を通じ、CIVIC TECH的な活動は、

 ・「自分たちの言葉」で発信や行動を繰り返しても「地域」とは交流出来ないこと
 ・ 地域の人と交流をしながら進めていく必要があること

に気付かされたそうです。この気付きは、自分たちがやれることをした(手を動かした)からこそ得た、大切な気付きだと思います。

また、「OpenAppLab」に関しては、自分たちにできること(アプリを作ること)を伝え、地域の人との交流手段になるという気付きだけでなく、違う効果ももたらしています。比較的低予算で実施したこの活動は、起業者創出と複数の地元企業就職者という実績を残し、地域活性の好事例としても評価が高いそうです。


■地域の人と交流する工夫

上記の活動の反省を踏まえ、「オープンデータ・カフェ」を廃止し、2014年11月から新しく「オープンカフェ会津」という場を作ったそうです。「オープンカフェ会津」は、地域の人達も気軽に参加しやすいように、様々な工夫がされています。

例えばイベント名称や主催名称。「オープンデータ・カフェ」だと、オープンデータに興味がある人しかこないので、「オープンカフェ会津」という名称にして、誰でも参加しやすくしたそうです。これはオープンデータ界隈の人から地域の人へと広げただけでなく、他地域の人も会津にかかわれる名称だな。とよそ者である私個人も感じます。「CODE for AIZU」という名称も、何をする団体なのかわかりにくいということから「行動for会津」としたそうです。

また、テーマを変えることでいろんな興味の方が参加出来る工夫や、講師を地域の人にお願いすることで同じ地域で活動されている方との接点を作る役割も果たしているとのこと。場所も肩肘はらず話しやすい場所として市内のカフェや居酒屋に変更したり、雰囲気に気を使っているとのことでした。

 第1回(11/5)テーマ「お店」
 第2回(1/14)テーマ「地域でネットワークを築く〜会津に溶け込むには〜」
 第3回(2/20)テーマ「地酒の魅力をもっと伝えたい、そのためにできること」
 第4回(4/24)テーマ「学校」

テーマを変えることで毎回新しい人がオープンカフェに訪れる一方で、行政職員や運営している地元ベンチャーの人など毎回出席する人も一定の割合でいるとのこと。そのように、全部が知らない人、新しい人でないバランスも重要なんだろうなっと感じました。


■新しいものを「持ち込む」のではなく、今あるものを尊重し「溶け込む」

ただ、それでもまだ地域に認められる存在か?自信はないとのこと。新しいことを作ることは悪くないですが、全てにおいていいということではありません。その事例として以下のお話をしてくださいました。

「とある幼稚園で若いお父さんが、子どもたちのために遊具を作ってくれたんです。それは東京で、自前で作るのが流行っているからだったんですね。ただ、結果的には違和感が残ってしまいました。なぜなら、この幼稚園には歴史ある父母コミュニティ文化があったのに、いきなりつくってしまったから。これまで活動していた人は「あれっ」って思いますよね。作ることはいいことですが、今までの流れをふまず、相手を尊重するようなモノの作りになっていなかったため、若い父母と昔からの父母を分断する動きになってしまったんです。
僕達もそんな風に文化的な背景などを無視して、今まで頑張ってきた人たちのことを無視して新しいことをしていないか?勝手な行動をしていないか?と不安になります。」(藤井氏)

特に地域で活動をする際には、すでに活動している団体との関係は、重要な意味を持つのだと思います。そのためにも、そんな人達とのコミュニケーションをとり、その土地で行われていることなどを理解して「流れ」を読み、流れに乗った形で自分たちのできる活動(IT)を融合していく重要性を、体験から感じ取っているようでした。

「口だけでなく手を動かしてきましたがそれでもダメでした。今は足を動かしています。活動から2年がたったいま、たどり着いた先は自分たちが地元の活動へ顔をだすということです。」(藤井氏)

このように、足を動かすことで更に人とのつながりが多くなっていくと、「こんなテーマでオープンカフェ会津を開催してほしい」という要望がでてきはじめたとのこと。その時はじめて、「ようやく街とつながることができた」と実感できたそうです。

ITとローカルコミュニティとが融合していくためには、新しい、革新的なものを「持ち込む」のではなく、今あるものを尊重し、その中に「溶け込む」姿勢が重要なのではないでしょうか?

様々な活動を経て、ここにたどり着いた会津の1年後2年後、次はどんなことに気付き、どんな風に変わっていくのか?注目しています。 


今回の前編はCODE for AIZUがローカルコミュニティとどのように交わってきたのか?の活動事例に焦点をあて紹介しました。後編では、藤井さん独自のコミュニティ論を、会津での活動と照らし合わせながら紹介したいと思っています。

(→後編「流れが先で構造が後だとコミュニティは継続される」へ続く)


■蛇足

ここからは会津の歴史のお勉強です。というのは、今回の取材を通じ、会津のシビックテックを語る際に、会津の歴史が大きく関係しているからです。

会津にはもともと日新館という全国三百藩校でも規模内容ともに随一と謳われた藩校がありました。「教育は百年の計にして会津の興隆は人材の育成にあり」という言葉もあるほど、会津はもともと教育に熱心な土地柄でした。江戸時代には日本有数の教育先進地だったにもかかわらず、内戦で“賊軍(ぞくぐん)”の汚名を着せられてしまったがためか、会津に四年制大学が開設されたのは戊辰戦争から一世紀以上経った1993年のこと。会津住民はずっと大学を悲願しており、住民投票で7割の「欲しい」という支持をうけてやっと設立された大学が会津大学なのです。それでも、国立は認めてもらえず、県立での設立になったそうです。

その当時(20年前)に「起業を後押しし、世界で戦える教育って何?」って考えた際にでてきた解が「コンピュータ理工」だったとのこと。会津大学は、開学当初からベンチャー企業等からの外部講師を招いてのベンチャー基本コースや、プロジェクト形式の課題解決型学習を取り入れたベンチャー体験工房など、起業意識を刺激する課外授業も数多く実施しており、2014年1月の日経グローカルの発表では、学生数に対する大学発ベンチャー数が日本一になっていたそうです。

そんな住民からの熱い要望で設立された経緯や、特徴的な大学であるがゆえに、教育を受けた人の集まりはとても強固なものです。ただ、そんな熱量も徐々に薄まって起業も増えなくなっていました。しかし、東日本大震災が起こったことがきっかけとなり、また会津という土地で熱量が湧き上がり、会津地域の人々や会津大学出身者が会津のために手を動かそうという目標に向かって盛り上がり、現在のCODE for AIZUの主要メンバーになっています。

このように、「会津には(私がいなくても)ITで地域をよくしていこうという流れがすでにできていた」(藤井氏)とのことでした。 

(※この記事は2015年6月18日に以下で掲載された記事の再掲載となりますhttp://thewave.teamblog.jp/archives/1039565337.html)

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