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ブロック解除〜食べもの・飲みもの編

インナーセルフとの絆を深める取り組みを始めて、およそ2年が経過した今。

「その時に食べるものや飲むものを、インナーセルフと相談してから決める」

ということが、だいぶ定着してきたように思います。

毎日のご飯や、ちょっと小腹が空いたとき、

「なに食べよっか?」
「これ?違う?」
「じゃ、これかな?」

とインナーセルフとお話ししながら食べるものを決めていく。

なぜなら、インナーセルフは「今の自分に必要なもの」をわかっているからです。

ということが、はじめは半信半疑だったんですが、「むむむ…!確かに…!」と、実体験を積み重ねることで、だんだんと腑に落ちてきて。

インナーセルフは、無意識のうちに避けていた食べ物や飲み物を指定してくることも多々あって、ぎょっとすることもあるけれど、

そういうのも試しに受け入れてみてきて、この1年くらいで、ようやく、ジャッジすることなく、罪悪感を感じることもなく、なんでも飲み食べできるようになってきたかなーと感じます。

と同時に、わが子の食に関しても、寛容になってこれたように感じています。

今日は、そう実感した出来事について書いてみたいと思います。

先日のこと。

夕飯が出来上がるまで残り30分ほどのタイミングで、帰宅して間もない娘がこう言いました。

「なんかちょっと頭痛い」
「お腹空いとるけんかも」
「アイス食べたらよくなるかも」

…当たり前に考えたら、

<頭痛と空腹>
とか
<頭痛の回復にアイス>

なんて、まったく結びつきません。

きっと、3年前までの私だったら、

「いやいやいや、それはないんじゃない?」
「ご飯ができるまで、横になっていたら?」
「お風呂に入って体をあたためてみたら?」

こんなふうに、娘が感じたことやアイディアに共感を示すことはなく、真っ向から否定して、言葉を返していたと思います。

あるいは、

「仕事で疲れている私が、マイナスから力を振り絞ってせっかく作ったご飯なんだから、それをちゃんと食べてもらいたい!」

という自分勝手な思いから、

「もう少しでご飯が出来上がるけん、それまでは、アイス食べるのは我慢してー」

と返していたかもしれません。

けれども、この日は、いかにもすんなりと、

「そうなんだね。それじゃあ、アイスを食べてみる?」

という言葉が出てきて、もくもくと食べる娘の後ろ姿を、ただただ見守ることができました。

…そうしたら、次第に、娘から発されるオーラ的なものが明らかに「るんっ♪」って感じに変化してきて。

見ているこちらまで幸せを感じるほどに、ほっぺたの辺りがふっくらしてきて。

「あー、なんかよくなってきたかも」

穏やかに、うれしそうに、そう言った娘は、すっかり頭痛から解放されたようで、その後に出来上がった夕飯も、しっかりと食べ切ってくれたのです。

今思うと、学校で1日頑張って過ごして、きっと、頭もたくさん使って、ぎゅぅーっとなっていた頭が痛みをひき起こしていて、

それを緩めるための「アイス」だったのかもしれません。

これまでの学びの過程で、

「わたしたちは、知らず知らずのうちに、自分に制限をかけている」

ということを、何度も師から伝えられてきました。

「そのことをしっかりと認識していないと、無意識のうちに、他人にも制限をかけるような言動を取ってしまうことがある」

「だからこそ、自分のことを知っていくことが大切」

だとも。

今回の出来事を通して、自覚しないまま制限を設けていることって、ほんとうにあるんだな、他にもまだまだ抱えているものがあるんだろうな、と思いましたし、

自分癒しって、結果的に、関わらせていただいている周りの方のためにもなっていくんだなということも、思いました。

自分癒しって、奥が深い♡

ちなみに、私が無意識のうちにかけていた、食に関する制限とは、こんな感じです。

野菜中心・うす味・低カロリーといった、いわゆる健康的な食事で育った私は、自炊するようになってからも、健康食が中心でありながら、加工食品も食べれば、ジャンクフードも食べる、といった食生活を送っていました。

だから、自分自身の認識は、「私は食に制限をかけてはいない」でした。ほんとうにそう思っていました。

ですが、自分癒しの過程で、「今の自分に必要なものを選ぶ」ということを都度おこなっていると

・朝ごはんはしっかりと食べるべし
・おやつはご飯のあと
・食事が基本、おやつはあくまで補食

など、行動面での思い込みがあったり、

・メロンソーダって色が毒々しくて嫌
 (飲んだことなかったのに)
・フロート系とか甘すぎるドリンクは嫌い
 (これまた飲んだことなかったのに)
・天丼は胃にもたれて体に合わない
 (1回しか食べたことなかったのに)

などなど、実は飲まず食わず嫌いのものがあったことを知ったり、たった一度の経験からジャッジしてしまっていたことがあったことに気づいたりと、

無意識のうちに、まぁまぁな制限を設けていたことに気がついたんです。

そして、それはそのまま、どこかで子どもたちに制限をかけることにつながっていたんだなと、思い当たることが、あれこれ浮かんできたんです。

自己認識って、事実と矛盾していることが、少なからずあるものなんですね…。

そのことで、無意識のうちに、他人の邪魔をしたり、窮屈な思いをさせていることが、まだまだあるのかもしれないと想像するとき、私はやっぱり、自分のことをもっと知っていきたいと思うのです。

このブログを読んでくださったあなたも、

「もしかしたら、自分にも、無意識のうちにかけている制限があるのかも…?」

と、今日一日のことを振り返ってみませんか?

なにか、新しい発見があるかもしれませんよ♪