英央はヒーローである

「ヒーロー」という単語を目にした時、頭に浮かんでくるのはどんな存在でしょうか。

ウルトラマンや仮面ライダー、スーパーマン。
そのほとんどが悪と戦う存在であり、ヒーローと戦闘は切っても切り離せないものとなっています。
しかしながら私は、ヒーローをヒーローたらしめるものはそれだけではないと言いたい。どれだけの力を持っていても、他人を守りたいと思う心がなければ彼らはヒーローにはなれません。

央さんは、強い力を持っているわけでもないし、優れた頭脳を持っているわけでもありません。
しかし、彼は他人を助けたいと思う心と、行動に移す勇敢さを持っています。
そういった、英央さんのヒーロー性についての私の考えを記していこうと思います。



【 小学校の時の「ヒーロー性」 】

小学生パートでの央くんは、突拍子もない行動で周りを振り回す部分やお調子者な部分のイメージが強いかと思いますが、実は自己理解が深いです。
彼は自分のできる範囲で正義を貫く姿勢を既にこの頃から持ち合わせていました。
それが顕著に現れているのが誘拐事件です。

撫子と二人、誘拐犯に攫われた時。憧れの戦隊モノのヒーローであれば、悪い人すなわち誘拐犯を倒し、撫子をこの場から解放したことでしょう。
しかし自分にその力がないことを自覚している央くんはそうしませんでした。

そして誘拐事件後に撫子を英家に招待した際、央くんは「僕はあの時、なにもできなかった」と言っています。
彼が発した「​──大丈夫。なんとかなるよ」という言葉は撫子に安堵感と勇気を与えましたが、その行動は央くんにとっては「何もしていない」と同義だということです。
それは、敵に立ち向かうだけがヒーローではないと言いながらも、やはり彼の憧れるヒーロー像は幼い日に憧れた戦隊モノに基づいており、その要素として『攻撃で敵を倒す』という点があるからです。

しかし、彼自身がそう思っていたとしても、撫子はこの時の央くんのことを『ヒーローみたいだった』と思っています。小学生の頃の央くんは壊れた世界の彼とは違い、あらゆる人を助けている訳ではありませんが、撫子にとってのヒーローであったことには違いありません。


【 壊れた世界での「ヒーロー性」  】

これに関してはもう言うまでもなく、というような感じなのですが。
壊れた世界で、央さんは目の前の困っている人に手を差し伸べていました。それは撫子に対しても同様です。
「……大丈夫。君が困ってるなら、助けるよ。……必ずね」
その言葉の通り、央さんは有心会に忍び込み、撫子を助けに来ます。
「……だって、君が助けてって言ったから」

央さんにとって、目の前の人を助けるという行為は特別なことではなく、当たり前のことです。
目の前にいる1人の女の子が困っていたから。助けてって言ったから。助けると約束したから。自分の立場を顧みず、困っている人に手を差し伸べることを当たり前だと認識している央さんの在り方に、私はヒーロー性を見出しています。


【 彼が自分をヒーローではないと言う理由 】

しかしながら央さんは、自分はヒーローではないとはっきり言っています。それは、彼自身の思い描くヒーロー像と自身の在り方が乖離しているからです。

央さんの行動原理は単純明快です。
目の前で困っている人がいるから助ける、ただそれだけ。自分にできることを精一杯行い、誰かを助けようとする。その姿勢こそが彼のヒーロー性だと私は思うのですが、央さんはそう認識してはいないんですよね。
結局、央さんにとってのヒーローは『幼い日に憧れた戦隊モノのヒーロー』のままなんです。彼らと比べれば、確かに央さんは世界を大きく変える力を持ちません。
だから、彼は自身のことをヒーローではないと言うのです。

それに加え、彼には目の前の人を助けられなかった過去があります。
これは私の予想ですが、おそらく央さんはヒーローという存在を美化しすぎているのかな…と。
戦隊モノのヒーローは圧倒的な力で悪を滅ぼし、正義で全ての人を救う存在です。そこに取りこぼしはありません。全ての人を救えて初めて、『子供達の憧れるヒーロー』が生まれます。

そういったヒーロー像を持つ央さんが『目の前の人を助けられなかった自分は、ヒーローではない』という考えに行き着くのは自然なことではあるんですよね。だとしても『普通の人間』はちょっと過小評価が過ぎるんじゃないかとは思うのですが。


【 彼の目指しているもの 】

痛いのも、誰かと争うのも好きではない。そして自分はヒーローではないと思っている央さんが、『普通の人間』と自認しつつもこの世界を変えるための活動を続けている理由。それは、「大事なものを守るため」です。助けられなかった人のことを思い出す度に己の無力さを感じ、自分の力で世界を変えることは不可能だとわかっていながらも、彼はあの世界を少しでも良いものにするために自分が出来ることをしています。

央さんが目指しているものは平和ではありません。平和の上に成り立つ「人々の笑顔が溢れる世界を取り戻すこと」です。彼は、幼い時からずっと人々の笑顔を愛していました。それは英央という人間の本質であり、世界線が違えど変わらぬものです。


【 それでも彼はヒーローである 】

央さん自身は自分をヒーローだと思っていないわけですが、私はそれを決めるのは央さん自身ではないと思っています。
では、誰が「ヒーロー」か「そうでないか」を決めるのでしょうか。
『誰か』が央さんをヒーローだと認識するならば、央さんはその『誰か』にとってのヒーローに他なりません。そして、この『誰か』は撫子であり、これまで央さんに助けられた人たちです。

自分自身のためと言いながら目の前の誰かを助けるその生き方は、あの日央さんが憧れたヒーローと何ら差異はありません。
たとえ央さんのしたことが世界に何の影響を与えることが出来なかったとしても、彼の正義が誰かにとっては『悪』になってしまったとしても。彼をヒーローだと認識する人、彼に救われたと思っている人がいる限り、彼は紛れもなくその人たちにとってのヒーローであるということなのです。


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