お姫様だと思っていた、何も知らなかった時代
父はよく、ディズニーのDVDやLD(一時期存在していた、DVDの少し大きいディスク)を見せてくれた。
なぜうちにはディズニーばかりあるのかと父に聞いたことがあった。
「ディズニーは音楽も映像も完成度が高い。コンテンツのクオリティとして素晴らしい。」
当時3、4歳ほどだった私は言っている意味がほとんどわからなかったが、父が言うならば間違いない、と父に対して絶大な信頼をしていたのを今でも思い出す。
父は私のために何を共有してあげようか、何を教えてあげたら良いか、一生懸命考えてくれていた。
見る映像も、聞く音楽も、暇つぶし(パソコンゲーム)も、欲しいおもちゃも、全て父の趣味からもらったものだった。
ある日、父が突然「出かけよう」と言い出し、趣味のコンピューターのメンテナンス道具を買うために秋葉原に連れて行かれた。
昼間でもピカピカに光っている電球や看板を指差して、電球はなぜ明るいのか、電球の種類はどれだけあるかなど永遠と語りながら楽しそうに街を歩く父の顔を今でも目に浮かぶ。
私は興味のないことでも、よくわかっていないことでも、そんな父の顔や声を聞きながらあくびをすることも申し訳なくてできず、頷いて楽しそうなそぶりを見せていた。
特別そうしろと求められていたわけではないが、父の好意だと思って、それが単純にとても嬉しかった。
幼いながらに、この気持ちは大切にしたいと思っていた。
休日になると、自分の趣味を共有したい気持ちが強くなるのか、秋葉原だけではなく公園にもよく連れて行ってもらった。
当時小学校に上がったばかりの私はそれなりに楽しんでいて、友達と遊ぶよりも家族や家で過ごすことが好きになっていた。
父のマウンテンバイクの後ろについている細い荷台に足を窮屈に縦に乗せ、一生懸命落ちないように父の肩や背中に捕まる(違法)。
父がその間も話しかけてくる。
「里沙、あれは、なんであると思う?」
「里沙、あれは、いつからあると思う?」
「里沙、あれは、何が置かれているのだと思う?」
毎回、「(私の名前)、あれは〜と思う?」のフォーマットで聞いてくれる。
そして毎回、私は答えられないので「なんで?」と聞く。
そうするとずーっと、ずっと父は話し続ける。もはや、回答ではなく物語の時がほとんどだった。
それがまた、楽しかった。
普段はあまり口数も多くない父だったが、そういう時は決まって話続けてくれた。
私には4つ離れた妹がいたが、父は変わらず、私に質問と答えのように聞こえる物語を語ってくれた。
妹は、母と一緒に家にいることが多かった。
当時父の収入だけで母が金銭管理をしていたが、余裕のあるものではなかった。
妹の楽しみは母と料理をすることや、絵を描くことが多かったと思う。
時々、近くの公園に行っていたのかもしれない。
春になると、家族で出かけることもあった。
毎年、誕生日の時にはディズニーランドに行っていた。
私と妹は二人とも4月生まれ。
ディズニーランドに行く前日は楽しみで本当に眠ることができなかった。
朝は早起きして、母のお弁当ができるのを眺めていた。
父は楽しそうにカメラを準備して、きっと、父は写真を撮るためにディズニーランドに行っていたのではないか、と思う。
というのも、4人で園内を歩いていると必ず父から「止まって!」の合図がある。
振り向くとすでにカメラを構えた父がしゃがんでいて、こちらは急ぐようにポーズをとる。
私は毎回、両手を合わせて頬に当てて、「ねんね」と呼んでいたポーズをとった。
ディズニーランドに来る度に、いつか私もディズニープリンセスのようなお姫様のような暮らしをするんだろうなぁと思っていた。
王子様は大人になったら必ず来るものだと思っていた。
でも、自分以外にも王子様が来たら、世界中お姫様だらけになってしまうのではないか?といういらない心配をしたものだった。
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