母が人だと気付いた日

私はその日まで、母とは『お母さん』という生き物だと思っていた。

それは、家事育児仕事を完璧にこなす、何でも知っている生き物。
何故なら私の母は度々そういうことを言っていたからである。
「お母さんは仕事をしながら家事もしてアンタ達の面倒までみてる、アンタは学校行くだけで良いから楽で良いわね」
「アンタみたいに ちんたら料理してたら日が暮れる、お母さんがした方が早いし美味しい」
「やっぱりお母さんの言った通り、商業高校に行って良かったでしょう?」
等々。
母がこういう言い方をするからか、私の我が強かったからか、私と母は度々衝突していた。
母に、私という人間を理解して、認めて欲しかった。
あんなに日々完璧を謳っているのだからできるはずだ。
だから母が私を否定する理由が分からなかったし、悲しかった。

専門学生時代の夏のある日だった。
私は地元の友人の見舞いに遠方の病院に行った。
友人の病状は本筋と関係ない為省略するが、その後回復したことだけは記しておく。
この時、病院の休憩スペースで友人母と二人だけで喋る機会があった。
明るくさっぱりしていて飾らない、友人母が私は好きだった。
母親同士も友人だったが、友人母と母とは全くタイプが違うのに不思議だといつも思っていた。

友人母と色んな話をした。
友人の病状のこと、同窓会の予定、私の学生生活の話、そして母のこと。
友人母は母について
「どうしてあの子は、あんりちゃんのことを褒めてやらんのかねぇ。
素直じゃないもんね。私達の前ではよく泣いたりしてるのよ。」
というようなことを話した。よく泣く?これは全く、思いもよらない話だった。
私が泣くと「泣けば構ってもらえると思って」と嘲笑うことさえあった母が?
「うちのお母さんが泣くんですか?」
と混乱しながら尋ねたところ
「そうよ、ほら、気が弱い所があるでしょ?」
と、更に思いも及ばない言葉が返ってきたのだった。

この時の友人母とのやり取りを思い出す時はいつも、急に揺さぶり起こされた時のような、しゃんとした気持ちになる。
私は『お母さん』をやっている母のことは知っているけれど、そうでない時の彼女のことは何も知らなかったのだ。
18歳まで共に暮らしてきて、知らない部分の方が多いなんてあり得ないことのように思えた。
しかし実際、母が泣いた姿も怖気づく姿も見たことがないし、想像もできなかったのだ。
私が見てきた母はいつも強かった。
母が自称する母もいつも強かった。
でも、1人の人間としての彼女はどうなのか?考えたことすらなかった。

母に私という人間を理解して、認めて欲しいと思っていた。
しかし完全無欠の生き物でなくただの人間に、どこまでそれができるのか。
でもきっと母は、それを可能にしようと母なりに努力をして。
その結果が私達兄妹の知る『お母さん』という生き物だったのではないだろうか。

そうだとすれば、母が私を否定してきたことを許せるかもしれない。
理解されなくても、認められなくても良いのだと、思えるかもしれない。
今すぐには無理でも、いつか。
そう思えて心が少し軽くなった、母が人だと気付いた日。

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