私に与えられた幸福の話をしよう-久永史遠の回想- #フォロワーステラナイツ0221

私が「最初に」死んだのは、中学校の卒業式の日。

いつもの景色に少しずつ青が侵食してきたあの夏の日、不可逆的な世界の終焉を明示されたあの時、この世界は随分と美しく終わるものだと思った。

羨ましいと、心から思った。

その後、尋常ならざる速度で方舟が完成し、希望者は外の世界へと移ることができるようになった。己が隣人となり、こことは違う世界で生きていく。それはそれで、刺激的な生き方だろう。実際、すぐさまその道を選ぶ者もいて、教室は日に日に広くなっていった。秋が過ぎても風が冷たくなるだけで、水を吸い過ぎた草花が色づくことはなかった。雪が舞っても水に溶けるだけで、私たちの街から銀世界が失われた。水の青だけが、どんどんと深さを増していく。

私たちは、あの夏から、この屋上でその青を眺めるのが好きだった。

夏休みの最終日、ここでふと零れた願いは、どちらの声だったか。
「いいなあ。この街は水に沈んで終わるんだね」
「私もこれくらい、美しく終わりたいな」
「私も、そう思う」

それから、ずっとずっと考えていた。
私にとって一等美しい終わりを。

桜が咲かなくても、学年の人数が1クラスにも満たないくらいになっても、担任と校長以外の先生がいなくなっても、卒業式は行われるらしい。
教室を簡単に飾り付けし、黒板を思い思いのメッセージで埋める。卒業証書を手渡し、簡潔に挨拶を述べた校長はそのまま学校を出ていった。最後まで、自分の仕事をやりきって去る背中が潔かった。担任の先生も、努めてあっさりと別れの挨拶をしていたように見える。当然だろう。舟の行先は、ひとつではないらしい。同じ舟に乗っても、階層は広い。ここを去るのは、今生の別れとほぼ同義だろう。
それでも、みんな生きたいんだなあ。解散となった後、ひとつの教室に収まる程になった卒業生たちの束の間の会話に耳を向けていた。どんな世界に行くのか、もう一度地面を歩けたらどうしたいか。未来に、希望に満ちていた。それはそれで、美しいと思った。

そんな中で、美月と目が合う。
それだけ。他に何を言うでもなく、私は席を立った。左手に卒業証書の筒を持って。


屋上の鉄扉を開けたら、やはりそこにいた。

その時までは、いつも通りの時間を過ごしていたと思う。よく晴れて、空と水の青が美しい日だった。風が穏やかで、春が来ると思った。

「死ぬにはいい日だ」

そんな呟きが、拾われたらしい。
きみに終わらせて欲しいと私が言ったのか、殺してあげよっか? と教科書を貸すくらいの声音で彼女から言ったのかだけは、私だけの思い出にさせて欲しい。大事なものだからね。
何にせよ、会話を重ねた結果、私が死ぬこと、美月が私を殺すこと、それらに合意がとれた。

持っていた筒を投げ捨て、沈んだのを見届けて屋上の床に寝転ぶ。コンクリートの硬さがやや骨に響くが、それよりも雲ひとつない空が美しい。
広かった視界が、ひらりと跨った美月で一気に狭くなる。長髪がカーテンのようになり、美月の頭で太陽が遮られることによって視界がわずかに暗くなる。

「ふふ、夜が来るみたいだ」
「まあ、目の前にあるのは月だからね」
「ただの月じゃないさ。一等美しい、大好きな月だ」
「もー、最期までそうやって」

ひんやりとした指が首筋にかかる。

「じゃあ、いくよ。……ばいばい。史遠」
「ああ……またね。美月」

そして、一気に締められた。
手の震えが伝わる程の強い力に、すぐさま呼吸が苦しくなる。意識が朦朧として、一瞬見開いたと思った瞼がすぐに重くなる。もう少し、もう少し、この瞬間を焼き付けたい。この、私だけを、こんなにも必死に見ている眼を。震えながらも一切緩むことの無い手の感触を。きみに終わらせてもらえる、この上ない幸福を。今際の人間は、どう笑えるのだろう。もはや声は出ないけど、私は今がいちばん幸せだと伝えたい。

呼吸を求めるばかりの口許をどうにか動かそうとした。ありがとうと言いたかった。
そこで意識が途切れたので、伝わったかどうかはもう、彼女しか知らない。


まあ、もう美月にも聞けないのだけどね。
いいじゃないか。聞くだけ野暮な話もあるだろうさ。伝わったと信じたいよ。私はね。

さて、私もそろそろ時間かなあ。体は置いておくより他ないけれど、魂でまた会えると思って逝くとしよう。

じゃあね。