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ゆるっと南国一人旅 #19の煌き2 #HappyVirtualRoom

こちらは「バーチャルSHOWTIME!」及び「19の煌き2」にて頒布された合同誌「Lets SHOWTIME!」に寄稿させていただいた掌編です。再録自由とのことでしたので、こちらにて掲載させていただきます。

9月某日
ターミナルを抜けたら、そこは南国だった。
なんて、つい名作の一節を当てはめて思い浮かべてしまうのも許されると思う。飛行機で一時間ちょっとの国内旅行で、ここまでの南国情緒をぶつけられるとは正直思っていなかった。数時間前にはほのかな金木犀の香りに秋の便りを感じていたところだと言うのに、今はウェルカムボードに飾られたハイビスカスが天窓から注ぐ陽の光を一身に受けて眩しいくらい。肌寒かったから着てきた長袖の羽織は……空調が効いているからちょうどいい。そして、ここに来た人全てを明るく迎えてくれるような、ついつい踊り出してしまいそうな音楽が聞こえる。歓迎されている。そうじんわりと感じた。ホテルに向かう前に、少し空港を見てみよう。本式にこの地に踏み出すのは、それからでもいい。

ひとしきり空港内を巡って、外に出たら夕方だと言うのに陽射しが結構強かった。ここはまだまだ夏なんだ。羽織が日焼け対策にもなってほっとしている。空港で流れていた音楽が微妙に耳に残って、歩調が気持ち弾む。まだどこにも行っていないけれど、この旅の成功を半ば確信した。今日はホテルで休んで、明日から旅を満喫するとしよう。

9月○日
 ここに旅行で来たからには絶対に行きたかった水族館に来た。周囲のカップル率なんか目もくれない。おひとり様上等。ショーもいいけど、心ゆくまで水槽を眺めたい。ここの大水槽が大変美しいと何かの記事に載っていたのでかなり期待をしている。入場券を買った。カラフルな魚のイラストがかわいい。切り離されてもここは残るはずだから後でノートに貼ろう。入場してから手元に残ったチケットはひとまず財布にしまい、暗い道をゆったりと進む。南の海らしい色彩豊かな、小柄な魚たちが点在する水槽群がもう綺麗で、ひとつひとつについ釘付けになってしまう。そんなエリアを抜け、順路を曲がると広いところに出た。そのまま進み、最大の目的と邂逅を果たす。

目の前に広がる海。その雄大さと美しさに、一瞬呼吸すら忘れて立ち尽くした。我に返り、水槽全体を見渡せる真正面のベンチに腰掛ける。視界いっぱいの青。ゆったりと泳ぐ魚たち。空間をふんわり漂う音楽を耳が拾うと、人の気配が完全に切り離される。現実を忘れられるこの時間が大好きだ。

その後、企画展やらこの地域ならではのものやら本当に心ゆくまで見て周り、出口に着いた頃にはもう西陽が眩しかった。昼前に来たはずなのに、食事もそっちのけで楽しんでしまった。満足。写真もたくさん撮ったけど、あの大水槽は目で見るのが一番綺麗だし記憶に焼き付いているから必要ない。何か食べて帰ろう。地元のお店に入ってみるのも、旅行の楽しみのひとつだ。

9月△日
 観光に来たときは、絶対に宿か駅か、どこかを目印にしてそこから歩けるところを適当に散歩することにしている。観光名所と呼ばれるところを巡るのもいいけど、そこにある、そこで誰かが過ごしている街並みも好き。京都は本当に楽しかった。一本路地裏に入ると時代が変わるあの感じ。狭い道の石畳、古い木造長屋の煤けたような色。猫にでもなった気分だった。さて、ここはどうだろう。宛もなく歩いて、適当なところで大通りから外れる。今日もよく晴れているが、そろそろこの日差しにも慣れてきた。一本入ったら、まさしく住宅地だったらしい。赤い瓦屋根の平屋が並ぶ。塀の低さも相まってか、空を遮るものがない。広い青空、真っ直ぐ伸びる道、屋根瓦の赤、庭々の緑。視界に広がる景色の穏やかさにたまらなく癒される。遠くにゆっくり横切る人、と、あれはヤギだろうか? そんなこともあるんだなあ。未知との遭遇だった。ふと、どこかの家か楽器の音が聞こえてきた。三線か。のんびりとした音色がこの景色に大層似合ってる。つい足を止めると、綺麗な歌声も入ってきた。さざ波に心を鎮められるような穏やかな旋律に浸って、ひとつ深呼吸をする。ここからは見えないけど、風に海の匂いがしたような気がした。さて、この道はどこにつながるんだろう?

同日、夜。
 満月まであと少しといった丸さの月が照らす中、砂浜を歩くこの時間の穏やかさったらない。夜風と波の音、砂の感触が心地いい。波打ち際に沿って進むと、大きな岩々が見えてきた。干潮になるとあの中に入り、奥まで進むことができる。その先の景色が大変綺麗らしいと聞いている。足をかけて、少し勢いをつけて体を持ち上げた。頭をぶつけない程度の高さはあるらしい。この時ばかりはあまり大きくない自分の身長を喜んだ。流石に月明かりが届かないので、ここからはスマホのライトが頼りだ。ストラップで首にかけて、落とさないように。両手が空くように。先程の砂浜とは打って変わってごつごつとした地面に足をとられないように慎重に進む。少し下り坂だ。片手で触れた岩肌が冷たい。ここも普段は海だからだろう。波の音がさっきより大きく、近くに聞こえる。少し先が明るい。目的地だろう。思わず歩調が早くなる。岩を数段降りて、開けた視界には青が広がっていた。干潮時にも海水が残る、所謂潮だまり、あるいは青の洞窟と呼ばれる場所だ。潜るとより美しいらしいけど、ここでも十分堪能出来る。頭上の岩も一部が空洞で、そこから月がよく見える。満月だったら完璧だなあ。それか三日月か。美しい海と、美しい月。今この場も美しいのに、もっと、と思ってしまう欲深さに呆れてしまう。わかった。次は月の様子と、干潮のタイミングが合う時期を調べておこう。シュノーケリング用の装備も整えて、それでまた来よう。また、ここで出会ったたくさんの美しさや穏やかさが恋しくなったら飛んで来よう。想像以上に近くにあった非日常に癒されるという楽しみがあれば、もう少し肩の力を抜いて過ごせるような気がする。
そろそろ潮が満ちてくる。明日の朝にはチェックアウトだ。でも、せっかくだから、もう少しだけ、ここで波の音を聞いていたい。

※この物語はフィクションです。実在するあらゆる場所、人物、その他もろもろとは一切関係ないし筆者は曲名の場所に行ったことがありません。