はじまりは雨とともに-ついったお題SS-

お題「通り雨」


夕立という言葉がゲリラ豪雨なる外来種にかなり侵食されてきている気がする今日この頃、連続でそれに襲われた私は玄関に干してある折り畳み傘を思い出しながら雨宿り場所を探していた。
気休め程度に鞄で頭を守りつつ、盛大に水溜まりを踏んだのも見なかったことにして、濡れた道路を走り抜ける。家までは流石に体力が保たないので、どこか屋根があるところでやり過ごしたかった。そろそろ息と足が限界に近づいた頃、喫茶店の軒先が視界に飛び込んできた。

助かった。

店に入らずに軒を借りるのもちょっと気が引けるけど、この夕立が過ぎるまで、ほんの少しだけ場所をお借りします。
そんなことを心の中で言いつつ伺い知れない窓の先に軽く会釈をして大きく息をつく。せめて顔や手元くらいは拭こうと思っていたら、ブレザーのポケットに入れていたハンカチまでもびしょびしょだった。うん。知ってた。手と髪の水滴をざっくり払って、溜息とともにまだ深い鈍色をした空を見上げる。

と、少し先でドアベルが鳴った。

意識が引き戻されて、音の方を見る。
マスター、にしては若いお兄さんがこっちを見てる。手には、大きめのタオルが。

「大丈夫? 入りなよ」

正直めちゃめちゃタイプだった。
急に声をかけられこともあってぽかんとしていたら、遠慮したと思われたのかこちらに近づいてきた。手を引かれて、為す術もなく店内へ。

「着替え、は流石にないけど、とりあえずこれ」

そう言ってタオルを被せてきたイケメンは、そのままカウンターに入る。柔軟剤の仄かな香りが優しいふわふわのタオルは私の心身を温めてくれた。簡単に全身の水滴を拭って、どうにかお礼を絞り出す。

「置いてていいよ。座って。何か飲む?」

どうしてだろう? 多少の申し訳なさはずっと付きまとうものの、この人の言葉に抗う気にはなれない。不思議だ。示されるままカウンター席に座る。そもそもこんな雰囲気の喫茶店は初めてで、ちょっと、余計にどきどきしてしまう。ええと、飲み物だったっけ。えっと、
余程あたふたしていたのが顔に出ていたらしい。

「……コーヒー飲める? 紅茶の方がいい?」

変わらぬ優しい声音で出してくれた助け舟。接客をする人はここまで気配りが出来るのか、彼自身のやさしさなのか。甘えることにして、じゃあ、ミルクティーを、と答えた声が少し震える。雨に濡れて冷えたことにしよう。

かしこまりました。と微笑み、カウンターが動き出す。静と動を繰り返す細長い指をつい追いかけてしまう。ミルクを注ぐために伏し目にしたときの睫毛の長さにはっとする。そうして過ごした時間はあっという間だった。

「お待たせしました。角砂糖、そこね。お好みでどうぞ」

ありがとうございます。はちゃんと言えたはず。
まずはそのままひとくち。茶葉とかよくわからないけど、すごくいい香りで、ふわふわのミルクが優しくて、やっと心底安らいだ気分になった。ちょっと甘い方が好きなので小瓶から角砂糖をひとつ。くるくると混ぜながら、気になっていたことを聞いた。

「あの、なんで、声掛けてくれたんですか? 私、びしょびしょだし、ご迷惑じゃ……」
「あぁ、だって、挨拶してくれたでしょ。びしょびしょだったし、流石に寒いじゃん。まだ雨止まなそうだったし、見ての通り今人いないからね」
「あい、さつ? ……あぁ!」

した。確かにした。よくやった数十分前の私!
もやもやが晴れて安心したら、あとはもう甘味を足したミルクティーを味わうだけだった。お兄さんもコーヒーを入れて小休止の様子。ちょこちょこ話しかけてくれたので気まずくならなかった。それだけじゃない。彼は私が通っている高校のOBで、大学に通いながらこのお店を手伝っているという有益な情報も手に入れた。基本的に平日夕方、今は夏休みだからほとんど1日。ゆったりとした店であることとマスターが高齢なのが手伝って半ば彼の店のようになっているらしい。薄く笑いながら話す笑窪がかわいらしい。ここまできたら流石に言い訳しようがない。それくらい、すっかり彼の虜だった。

ゆっくりゆっくり味わっていたミルクティーが無くなった頃には、夕立が過ぎていた。西陽が射す窓の外が眩しい。びしょぬれだった私も程々に乾いてきたことだし、そろそろお暇するべきだろう。

「あの、お会計……」
「いいよ。俺が勝手にやったんだし」
「でも、」
「じゃあ、また来てよ。そんときはちゃんとお金もらうから」
「来ます! ぜったい来ます! 素敵なお店なので!」

願ってもないお誘い! きっとこの人は本当に気遣いができるのだろう。優しい。そんな貴方にまた会いたいから、絶対に来るんだ。
今日1番の大声が出たところで、軽く笑いながら見送ってくれた。またのお越しを。という声に深深と頭を下げ、家路への行路を再開した。

帰宅して、食事やお風呂を済ませてのんびりしたところで気づいた。
あのお店、なんて名前だったっけ……?
あーもう! ばか! なんで見てこなかったの! ばかばか! 屋根を探したくてデタラメに走った気がするから、普段の通学路じゃなかったし。どうしよう? また、会いたいのに。

そうだ。
また、雨の日に歩いてみよう。今度は傘をさして、周りをゆったり見ながら。
そうしたら、もしかしたら出逢えるかもしれない。
普段あまり好きじゃない雨が、今日ろくでもない目に遭った通り雨が、一気に楽しみになってきた。



今日は、礼儀正しくかわいらしいお客様がいらっしゃいましたね。何分バイトが普段少々ぶっきらぼうなものでして、失礼いたしました。彼も貴女も、緊張が解けてゆく様は微笑ましかったですよ。
また、お越し頂けることを、密かに楽しみにしております。
喫茶『時雨』マスターより。