大人になって初めての夜

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微睡みを遮るように光り出したスマホを薄目で見て、今日という日の意味に気がついた。通知に増えていく友人たちからの祝福のメッセージに思わず口元が緩む。ありがとうと返すと、今度飲もうね!と誘われた。こうして仲良くしてくれる友人たちがいるのは嬉しいことだ。お酒も気になるけど、でも、私は、


煙草と聞いて思い出すのは2つ。1番よく見ていた景色は両親が夜に時々、1本ずつ吸うところ。でも、1番強く記憶に残っているのは、にいがくれたココアシガレット。食べるどころか当時は見るのも初めてだったように思う。両親の姿に憧れたにいがやってみたいからと促され、ただ咥えて顔を向けたはず。自分のことよりも、こつんと触れたシガレットの感触と腑に落ちないような顔をしたにいの方が印象に残っている。大人になったらもういっかいという約束は、それ以降ココアシガレットや煙草を見る度に思い出すのだ。そして今日、やっとそれが果たせる。にいは、覚えていてくれているかな。

2年前、にいが20歳になった時の誕生日会はまだお酒も煙草も話題にすら上らなかった。両親が帰ってきていれば話は別だろうけど、まだ未成年の私を気遣ってのことだろう。それが分かるから、夕食は腕によりをかけたものだ。今日は、一緒に飲めるかな。私は何が好きなんだろう。キッチンで一人なのをいいことについ鼻歌が出てしまう。食材を取ろうとして冷蔵庫を開けると、普段飲んでいるお茶を切らしていることに気付いた。時間は、19時過ぎたとこか。にいもそろそろ仕事終わってるかな?  買い物がまだなら買ってきて欲しいとLINEを入れて、すぐに届いた快諾の返事に眉を下げながら感謝する。さて、気を取り直して調理を再開する。ちょっと早いかもしれないけど寒くなってきたから今日はお鍋にするんだ。

帰ってきたにいは、たくさんお酒を抱えていた。どれが飲めるかなと思ってと頬を搔く仕草にたまらなく嬉しくなる。食事を出して、ケーキも食べて、お酒を試して見た。ビールはちょっと苦手かな。顔に出ていたのかにいがそのまま引き取って飲んでくれた。度数の低い、甘めのチューハイから練習するんだ。ちびちびと舐めていると、体がぽかぽかしてきた。
ふと、にいがベランダに出ていく。あれは煙草に違いない。ゆっくり後を追う。約束を果たしに。

「ん、どうした」
「にい、タバコ吸ってるの?」
「ああ」

返事を聞いてすっと手を差し出すと、にいが不思議な顔をしている。その手で咥えている煙草を指した。

「……タバコか?」
「うん。20にもなったし、とりあえず試しにね」
「あんまりよくないが……まあこれも経験か。ほら」

私が吸うのはあんまりいい顔をしないのか。過保護だなあにいは。そうも言いながら練習はさせてくれるので、有難く1本貰った。あのときのシガレットの様に咥えて、先をにいのほうに差し出す。
ちょっと面食らったような顔してる。……このままじゃ喋れないや。見様見真似で手のひらを添えて、指で挟んだ煙草を口元から離した。

「ほら、にい……昔、言ってたでしょ。大人になったら、シガーキスしてみたいって」
シガーキスなんて単語は、最近覚えたんだけど。

「いやまあ……。……それじゃあ」

さっきからにいの表情がころころ変わって楽しい。傍にあった箱からもう一本取り出して、火を付けた。そして、こちらに顔を寄せて、そっと煙草の先が触れる。火がつくのを確認するからか、目線を伏せているにいに思わず釘付けになる。余りにも長かった一瞬で火が移り、私の手元からも煙が緩やかに上がる。慌てて吸ってみると、煙の感覚に慣れず思いっきり噎せてしまった。

「……。なんだろうか、この。……ああ、うん。もう次はやらない。これは、駄目だ」
「けふっ……なんで?」
「体に悪いってのと、精神的にも悪いから」
「そう?……やっぱりむせちゃうなあ」

私だっていつまでも子供じゃない。なんとなく後者の意味が分かった気がして、でも知らないふりをする。煙草に慣れないのは初めてだからだと、思っていてもらえればそれでいい。

「まあそんな吸わなくてもいいと思うぞ。……もし吸うなら、軽いやつにしておきな」
「ん」

心配はしても無理に止めないで見守ってくれる、そんなにいが大好きだから。
少しずつ吸ってみながら、白く上るふたつの煙をぼんやりと眺める。父さんと母さんもきっと、この時間が好きなんだなと思い至った。

「にい。子供の時の夢は叶った?」
「ああ。100点だ。……かっこいいとは違った、感情を得たけどな」

そんな事を言いながら、寒さを案じるようにして少しだけ私を抱き寄せてくる。お酒で火照った体にはちょうどいい夜風だったけど、黙って甘える事にした。そろそろこの呼び方も改めた方がいいかなあとずっと思っているけど、にいと呼んでいる限り、兄は私をかわいい妹として、守るべきものとして扱ってくれる。それにも黙って甘えつつ、1本になった煙が空に溶けるのを眺めていた。いつまでも、この距離感が続けばいいと思いながら--。