社会科散策-論述(日本史09)平城京

〔平城京遷都の理由〕
 なぜ,藤原京から平城京に遷都したのか。
〔解答〕天皇の力を示し,高い地位をもつ豪族(貴族)を役人として住まわせるため,大規模な都が必要となったからである。(帝国書院)
(解説)
 また,ジュニア版日本の歴史は,大宝律令が発布され,多くの役所が新設されると,せっかくつくった藤原京でも,そうした役所や役人がおさまらなくなってしまったからである(ジュニア版日本の歴史1巻 読売新聞社)としている。
 しかし,近年の発掘調査で,藤原京は従来の都の想定範囲より約3.5倍あったことが確認され,藤原京手狭説は説得力を失っている。最近注目されているのは,同時代の中国(唐)の都長安と同じスタイルに変更するためだったとする説(全集・日本の歴史 律令国家と万葉びとP88-小学館)である。

参考(東京書籍p39)
 平城京という大きな都をつくることができた理由を簡単に説明せよ。
〔解答〕天皇中心の律令国家が完成し,この律令体制の下で役人をも含め10万人ものが人々都に集住し生活していたこと,そして,幹線道路が整備され各地から都の市に多くの産物が送られ売買されたことが,大きな都として成立し存続した理由である。
(解説)
 東京書籍の出題のしかたがやや曖昧なので,「天皇中心の強大な律令国家が完成し多くの労働力を動員できたから,そして藤原京の近くに広大な平地があったから」との解答もありだが,「大きな都をつくる」とは単に物理的・外形的なものではなく,人口や経済活動をも含めた意味で理解すべきである。

〔蓄銭叙位令〕★東大2007類題
 8世紀初以降,古代国家は銭貨を発行しその使用を促進する政策を畿内及び畿内以外の諸国に実行してきたが,8世紀末に畿内以外の諸国に対して銭を官に納めさせる法令を出した。その理由は何か。
〔解答〕畿内以外では諸国の役人や人民の銭貨の備蓄により銭貨の流通が滞ったこと,及び平安京造営に莫大な費用がかかり,政府の財政不足が深刻化したことがその理由である。
(解説)
 蓄銭叙位令は,一定の銭貨を蓄えて政府に供出した者に対して叙位するいわゆる売位制度(711年)。蓄銭を奨励することは一見,銭貨の流通を阻害するような行為だが,政府の目論見は,「位階の低い成り上がりの富裕層が位階を得るために蓄えている布や米を銭貨(銅銭)に換えてくれれば,市場に銅銭が流通するとともに,政府は鋳造した銅銭を労せずして布や米に換えることができる」というものであった。(参考文献『古代国家の歩み』小学館=吉田孝)
 尚,日本の歴史04講談社P97は,「銭貨の蓄積が流行するならば,貨幣の流通量は一時的に減ってしまう。だから,蓄銭叙位の法は現代の国債に相当する政策とみた方がよさそうだ。しかも国債と違って償還の必要がなく,吸い上げた銭貨は再び国家の財源として市場に投入できるという利点があった。」とする。
 本問は,蓄銭叙位令が畿内以外の諸国には奏功しなかったこと,そして政府の財政難を解消するために強制的に銭貨を徴収したことが示されていればよい。

〔蓄銭叙位令〕類題(平成31年筑波附属)
 蓄銭叙位令(天皇の詔)が和銅4年(711年)に出された背景を述べよ。
〔解答〕銭貨の流通が滞っていた。
(解説)上記参照。

〔駅馬〕★東大2000類題
A 駅設置の目的(山陽道の駅馬が多いことの背景にふれながら)を述べよ。⇒中央の政策を地方に伝達するとともに,地方の情勢および外国の動向を迅速に把握するために設置された。山陽道は大宰府と結び外交・防衛上重視された。
B 駅子が逃亡した理由(850年に太政官が逃亡駅子の捕縛命令を出した)。⇒駅馬を利用する使者の増大が駅子の過重負担となったから。

〔和同開珎〕類題(お茶女附属平成25年度)
 和同開珎を図で描きあらわしなさい。→史料参照。
(解説)通貨の形と和同開珎の文字の並び。

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