生きようとする私たち|コーポ指『みおさめ』

 姉妹の絆、友情の証。違う2人、同じ人間。忘れてしまった、人とのつながりを強く感じさせる舞台がここにある。

 11月3日(木・祝)から同月4日(金)まで、日本大学芸術学部の学園祭企画として、演劇団体「コーポ指」が公演を行った。本公演で旗揚げとなった同団体。記念すべき初公演は、作=福島さや乃・演出=工藤咲喜による『みおさめ』である。

 急逝した長女・夢原光希の葬儀をひかえたある日。光希の妹で次女の唯月(=小西美穂)は副葬品に悩み、部屋一面に服やぬいぐるみ、本を散らかす。三女の夏紀(=篠原瑠那)は、そのだらしのなさを見かねて唯月を咎める。唯月は光希の日記を見つけて読みふけるが、他人の日記を覗くことに嫌悪感を覚える夏紀は、唯月を受け入れることができなかった。
 その時、光希の友人だった浅見鈴華(=大久保佑南)が、貸していた漫画を回収しに訪れる。光希の思い出話で盛り上がる唯月と鈴華だが、静かに姉の死を悲しむ夏紀にとっては、2人を許せずにいた。
 それぞれの「悲しみ」ー。それぞれが選ぶ、光希との「みおさめ」とは?

 45分間の上演はあっという間で、観客は各々に感情移入する。光希への想いは三者三様だが、同じ痛み、悲しみを心に抱え込んでいる。唯月も鈴華も、夏紀も同じ人間なのだ。

 人と人とは時に衝突し、自分の感情を他人に押し付けてしまうことがある。それは私たちが「生きよう」としている証ではないか。
 人間は弱い。センチメンタルになった時には、お互いが支え合って生きている。心に宿した負の感情を吐き出すことは、人間の営みそのものと言えるだろう。『みおさめ』は人間そのものを映した、まさに「生きようとする私たち」を等身大で描いた作品だと強く感じる。

 会場となったのは日本大学芸術学部内にある演劇学科小ホール。スタジオ形式のホールに仮設の客席。観客と俳優が密になる空間は、忘れられない演劇体験を生んでいた。
 美術面では、舞台面全体に服やぬいぐるみ、本が散らばっており、無造作に散っている一つ一つのアイテムは、開演前と終演後では視覚的な重さが違ってくる。それは唯月の葛藤を通して光希を体現しているアイテムに変わっていくからだ。本編には一切登場せず、死因も明らかにされない「光希」という人物を、私たちはアイテムや3人のやり取りから想像するのだ。そういった面でも、非常に価値の高い演劇体験となって観客を魅了していく。

 演劇が果たす役割とは何だろう。人それぞれの演劇の中に、ひとつ同じベクトルが存在するならば、それは「生命を感じる」ことだろう。この作品は姉妹愛や友情を通して、人とのつながりの大切さや、その中で「生きようとする私たち」を描いている。だとすれば、演劇の使命を大いに果たしている作品とは言えないだろうか。

 次はどんな作品と出会えるのか。今後の「コーポ指」の活動に期待したい。

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