大道芸人が教えてくれた「他人のためにお金を使う喜び」

さっき(9月23日22時半ごろ)、池袋東口でたまたま大道芸人のパフォーマンスを見た。路上マジシャンをしていた。

パフォーマンスも面白かったけど、私が感動したのは彼が観客にお金について話すときだった。

彼は言った。

「大道芸という文化は、皆様からのお気持ちによって成り立っています。こういう話をすると日本人の場合、立ち去られてしまうことも多いんですけれど、僕は正直に言います。お札を下さい。」

「お札を下さい」の前に音楽を止めて、静かになってから敢えてそう言って笑いをとっていたのが上手いなぁと思った。
聴衆にもウケていた。嫌な感じは全くしない。うまく誤魔化している感じすら感じないのは、彼の言葉が全て本音だからだろう。

芸が終わると、私は彼にお金を渡した。決して多くはないが私にとっては少なくない額だった。周りにいたカップルや通りすがった人も結構多くが投げ銭をしていた。

彼に背を向けて帰路につくと、今まで感じたことのないような喜びを左脳の上部分に感じていることに気づいた。私は彼にお金を渡したことによって嬉しさを感じているのだった。

とても奇妙な気がした。私は何も手に入れていないのだ。しかし他人のステキな活動にお金を払うことが出来たという事実が嬉しかった。

自分にもまだそのようなことができたことで、自信のようなものが湧いてくるのを感じさせてくれた。そう呼ぶことが適切かどうかは分からない。勉強や仕事などのいわゆる競争に勝つことで得られる"自信"とは全く性質の異なるものだからだ。

競争に勝っても自分一人が満足するだけだが、投げ銭は身銭を切って他人と繋がることがこのような形でも出来ることの発見だった。

ああ、もしかしたらこれこそがお金の「自由」の側面なのかもしれない。

家族や友人のようなしがらみを交えた関係でもなく、デパートや空港のサービス係にお金を払う瞬間のようなシステマチックな繋がりでもない。同じアートやエンターテイメントでも、映画館やライブのチケットにお金を払う瞬間にもあのような気分にはならない。

彼にお金を渡した瞬間には確実に心のやりとりがあった。作品を見るという体験だけでなく、作者に直接お金を払う体験があってこそ始めて味わえる感情だと思う。

あんな瞬間がもっとこの世に増えればいいのに、と思うのでした。固定された人間関係のしがらみに囚われずに、良いものに直接賞賛の意を込めてお金を渡せる瞬間が。








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