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オンラインカジノの歴史

2022年のオンラインギャンブルの世界全体の市場規模は635億ドル(USD)、2030年には1500億ドル(USD)に達すると言われています。(Research and Markets調査レポート)

およそ30年間にそんな一大産業に成長したオンラインギャンブルの歴史について書いてみたいと思います。

インターネットギャンブルの始まり

1990年代初頭に、インターネットが一般に普及し始めたころ、世界各地でカジノ事業をインターネット上で展開できないかと奮闘する起業家達が現れました。

カジノはその公平性が保障されなければ、事業として成り立ちません。ランドカジノであれば、長く認可制となっている事や、実物のカードやルーレットがお客の目の前で使用されるためお客は安心して楽しむ事ができますが、インターネットという新しい技術を使い、画面に表示されるゲームの結果がどうやってはじき出されるのかも不透明なままでは、誰もオンラインカジノなど利用しないでしょう。

この難題を解決するために、当時の起業家達は、テクノロジーの開発だけでなく、法整備を行う国の機関と連携しながら現在のオンラインガンブルの基盤を築いていきました。

オンラインギャンブルの法整備

インターネット上のカジノが、イカサマ等をしていない公正なサービスである事を証明するには、政府機関による審査と認可制度が必要です。この取り組みを最初に実現したのは、カリブ海の小さな国、アンティグア・バーブーダ(Antigua and Barbuda)でした。

アンティグア・バーブーダは、カリブ海諸島の一部を構成するアンティグア島とバーブーダ島からなります。美しいビーチやトロピカルな気候が特徴で、主な産業は観光業。またオフショア金融業も盛んで、世界中の企業や個人に金融サービスを提供しています。

1994年に世界で初めてオンラインギャンブルのライセンスを導入し、オンラインギャンブル業界のパイオニアとなりました。

その後、1996年にカナダの先住民自治区であるカナワケ、そして現在日本語対応カジノの殆どがライセンスを取得しているキュラソーがオンラインギャンブルのライセンスを発行し始めました。1998年にはジブラルタル、2001年からはマルタとマン島、そして2006年からはイギリスがオンラインギャンブルのライセンス発行を開始しています。

世界で最初のオンラインカジノ

オンラインカジノのソフトウェアを世界で最初に開発したのは、現在も数多くのゲームを輩出しているMicrogamingです。アンティグア・バーブーダでオンラインカジノのライセンス制度が開始された1994年に、世界初のオンラインカジノソフトウェアを開発しました。

続いて1995年にはCryptologic、1996年にはPlaytechとNetEnt (旧名Net Entertainment),1997年にはRandom Logic(現在の名前は888 Holdings)が参入します。これらのソフトウェア会社は、オンラインカジノ向けのゲームプラットフォームやゲームの開発を行い、オンラインギャンブル業界の成長に大きく貢献しています。

そしてこれらのソフトウェアを基盤としたオンラインカジノサイトが登場します。以下は、世界で最初にできた日本でも名前のよく知れた老舗オンラインカジノです。

  • InterCasino - 1996年

  • 888 Casino (旧名Casino-on-Net) - 1997年

  • Imperial Casino - 1997年

  • Gaming Club - 1998年

  • Jackpot City - 1998年

当時は、Microgaming系、Playtech系など、オンラインカジノが使用している基盤のソフトウェアによってプレイできるゲームも限られていました。例えばCryptologic系のインターカジノでは、Playtechのゲームを遊ぶことはできませんでした。

最初の日本語オンラインカジノ

2000年代に入ると、オンラインカジノの数はぐっと増え、日本語に対応するカジノも増えました。
まだインターネットを日常的に利用している人もそれ程多くなかった時代なので、日本でのオンラインカジノの利用者も少なく、非常にアングラな存在だったものの、一部のカジノ好きの間で話題を呼んでいました。

この頃人気があったのは、いち早く日本語化したインペリアルカジノ、スピンパレス、32レッド、888カジノ等で、サイトの日本語化や日本語サポートのあるカジノが増えていき、2004年に日本人向けのブランドとして現在も人気があるジパングカジノが登場しました。

当時は殆どのオンラインカジノのウェブサイトは外国のサイトをそのまま日本語に翻訳したもので、また入金や出金にも時間がかかり、一般には取っ付きにくい印象がありました。

2010年代、サービスの拡充・日本向けオンカジ増加

2010年代に入ると、日本のマーケットを意識したブランディングを行うオンラインカジノが登場しました。その筆頭は、現在でも日本人利用者最多を誇るベラジョンカジノです。日本人にとって違和感のない日本語サイト、丁度スマートフォンが普及してきた時でもあり、スマホで気軽にカジノゲームが遊べるとあって人気を伸ばしていきました。
ロールプレイングの要素を取り入れたカジ旅も登場し、ベラジョンカジノやカジ旅の成功が、以後、日本人の趣向に合わせたデザインやキャンペーンのオンラインカジノが増えるきっかけとなりました。

またビットコイン等の仮想通貨が大きな話題となり、仮想通貨が使えるオンラインカジノが台頭しました。中でもビットカジノはいち早く日本語化した仮想通貨カジノとして多くのビットコインユーザーを取り込みました。

同時期に、Evolution GamingやMicrogamingが実際のディーラーと勝負できるライブカジノの提供を始めました。より実際のカジノに近いリアルなカジノゲームをスマホで遊べる画期的なライブカジノは、オンラインカジノの人気を底上げしたと言えます。

2010年代後期には、キャッシュバックが売りのカジノシークレットや、ライブカジノに力を入れたライブカジノハウスなど独自の特色を持った日本人向けオンラインカジノが登場しました。

2020年は第2次オンラインカジノブームの年

2020年から世界中で猛威を振るったコロナウィルスの影響で、巣ごもり需要が急上昇したのは記憶に新しいところです。外出する事が少なくなり、家に居ながらできる娯楽が人気を集め、オンラインカジノを楽しむ人が急増しました。

このオンラインカジノブーム2020年はミスティーノ、カジノミー、ボンズカジノ、アロハシャークなど数多くのオンラインカジノが登場し、まさに日本語カジノ戦国時代に。どのオンカジも、ユーザー獲得のために魅力的なボーナスやキャンペーンを展開するようになりました。

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