「男」とか「女」とかで揉めたくないよね
なんか書くことがあんまり無かったので割と浅い意見を書いてみます。
最近X(旧Twitter)で「これだから男は」とか「これだから女は」みたいなポスト(旧ツイート)が多く見られるようになったなあ、と感じます。
もしかしたらTwitter(現X)のアルゴリズムが変わっておすすめに出てくる回数が増えただけで、実際のそういう類のツイート(現ポスト)の母数は変わってないのかもしれません。
でも僕の体感ではすっごい増えてます。
多分「かき氷のシロップって全部同じ味なんだよ!」って言ってくる人間と同じくらいには増えてます。
そんなわけないのに。
で、そういう感じの意見を中心に渦巻いてる「男はこうで女はこう」みたいな論争を見てしまうと僕は悲しくなってしまいます。
なぜこうも人は許容できないのだろう、と。
こんなこと言うと生意気ですが、僕は多少のことならなんでも許せる自負があります。
車を運転してる時、横の車線から無理な割り込みをされても許します。
ハザードを炊いて「申し訳ないアピール」をしてくる人も多いですが、むしろハザード炊かれない方が嬉しいです。
「俺にハザード炊くくらいだったら流行りの青春映画見て泣いた方がいい」って思ってます。
マジで。そっちの方が有益だし。
だからこそ、自分に何も害が及ばないネット上の意見に噛みついていく人達の気心が知れません。
詐欺とか引っかかったらどうなっちゃうんだろうか。
逆に詐欺までされたら一周して怒らないんじゃなかろうか。
そんな不安と不満と時々疑問を持つ、リリーフランキー状態のこの僕。
ここまで書くのにおおよそ1ヶ月が経ちましたが、話を続けます。もう言いたいことは忘れました。
とにかく僕は悲しいんです。
なぜ人は争いをやめないのか?
ある部分の思想が違うというだけで、まるで犯罪者かのように批判してしまう人々。
彼らはおそらく「今日食べた朝ごはんが同じだった」くらいの共通点さえあれば仲良くできるはずなのに。
同じ釜の飯を食っていれば他に類を見ないほどの親友になれていたのかもしれないのに。
人は誰しもが、優しさも、卑しさも兼ね備えているはずなのに。
そしてそれは自分自身でとても理解しているはずなのに。
なぜ分かり合えないのだろうか。
皮膚や目の色が違うだけで、なぜ憎悪のターゲットになってしまうのだろうか。
そして僕はこれからもこの寂しさを膨らませることしかできないのだろうか。
やがて分かり合えるときがきたらいいなあ。。。
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