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広島にて

朝市みたいな所に行った。スイカが350円で安かったので父にねだった。東京や埼玉に比べて野菜やパンが安い。食べ物の物価に対して安いとか高いとか違うとかいう感覚を持つようになったのは一人暮らしするようになってからだ。金銭感覚の解像度が上がったというのが正しい。特にトマトが安かった。きのこは変わらなかった。父はよくこの朝市で買ったものを宅急便につめて私に送ってくれる。しかし内容が偏っているせいで、例えばレモン蜂蜜みたいな使いそうで意外と使い道が限られるような食べ物が、私の狭い家に2つも3つもストックされたりする。そういう拙さも満更ではない。

家のバルコニーは広い。父はそこでトマトやバジルを栽培したり間接照明を置いたりなにやら環境構築しているらしい。兄と母には不評のようだ。本来ならバルコニーから見えるはずの海の景色をさえぎってるからで、それはもっともだ。家のことは、坂を登らなきゃ帰れないしシャワールームが寒いのであまり好きではないが、このバルコニーはいっとう好きだ。プライスレスという言葉がよく似合う、蒼くて澄んでいて空と溶け合うような海が広がっている。

昨日まで晴れだったけど、今日は激しい雨で寒い。しかし家族皆半袖で過ごしている。クーラーを消しても誰かがまたつけてしまう。私が寒がりになったんだろうか。カナダではあれだけ薄いコートで毎日過ごして周りの友人に心配されていたのに。

祖父母と両親の5人で寿司屋へ行った。兄も参加する予定だったが仕事で大幅に遅れてしまった。注文するタブレットの使い方にみんな疎いので必然的に私がとりまとめて操作することになるのだがこれが大変だ。なにしろ祖母は要求が多い人物、悪く言えば厄介だからだ。ハマチはどこでも食べれるのだから頼むなとか、大トロは5皿でしょうになんで3しか頼んでないのとか、人数分の茶を入れろとか、わさびはどこだとか。矢のように同時に要求が飛んでくる。私の感覚は家族と高級な外食をしに来ていると言うより、インターン業務中タスクに板挟みになりながら頭を必死に回転させているときの状態に近かった。てんやわんや。兄はこの様子にも慣れたと言う。寿司は美味しかった。何しろ一皿の値段が300円からスタートするのだから。ただ、次はもう少し静かなところで食べたい。

帰りに兄と二人で蔦屋書店に言った。公園の動物遊具の写真集を二人で見た。かなり不気味だった。夜の公園で歪な動物の遊具と対面したらぞっとするだろう。窮鼠はチーズの夢を見るの主演二人がたくさんの雑誌の表紙を飾っている。公開が楽しみだ。瞳が濡れる恋をした、というキャッチコピーが表紙にあった。中を少し読むと、主演どちらかが、もともとストレートだったけど同性に恋に落ちた経験がある知人に話を聞いたらしく、その恋に落ちたときは「相手の瞳が濡れている」ととにかく感じたらしい。雑誌THE STARの表紙はX1だった。こちらには彼らが過ごした133日間、というコピーがあった。突然解散してしまったアイドルグループを、それでも表紙に載せて発行に踏み切った編集者の気持ちを考えた。無念だったろうか。それとも、お金や仕事のためだっただろうか。書店を出る頃には雨がおだやかになっていた。兄と2人でまっすぐ家に帰った。

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