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講演講師原稿 【自分年表】 学生時代編


人生を振り返って出来事や事件を書き出す

 今日から人生を振り返る作業を始めます。

 これって結構恥ずかしいことも、嫌なことも出てくるということですので私自身覚悟の上記載することになりそうです。
 いいことばかりでは無いんですものね。

 本当はノートなどに付箋を貼って作り作業なのですが、手書きではなく見返すのは、ここでもいいかなと思って作業を進めます。
では以下、箇条書きに進めていきます。

学生時代編

①小学校 千葉県市川市立二俣小学校に通った

小学校は、防衛庁や総理府、労働省(その当時の名称)の官舎内にありました。似たような環境の家族が多かったこともあり、子供達の考え方も同じような感じでした。教育熱心、子供達も勉強が好き、真面目、いわゆる優秀でいい子と言われるメンバーの集まり。あの当時としては、習い事も多くやっていることが当たり前、中学受験をした子も一定数あり。都内に近く、買い物や遊びに行くのは、日本橋、銀座という土地柄。逆に変な争いなどもなく、平和な時代だったし、楽しい思い出ばかり。

②承認欲求がみたされなかった小学校時代

しかし、比較対象が多かったせいもあり、母にかなり言われていたことを思い出しました。一般的に、私は勉強ができない子供ではなかったと思いたいのですが、上には上がいたせいか、もっといい点数をとるように言われたことが多かった。承認欲求とは其の当時になかった言葉ですが、なかなか其の承認欲求が満たされなかったかなと思う。いつもダメ出しの母の言いなりだった。おとなしい女の子がいいと母は考えていたのか、部活の誘い(例えばバスケットボールなど)は、どうしても認めてくれなかった。

母は、兄弟が優秀であり、それが自慢だった。母にとって勉強できることが全てだったから、運動だなんてできなくっていい。 そして母は運動が苦手。だから、運動をするってことを認めくなかったのかなと、今感じるのである。あの頃は母に従うのが一番と、我慢すれば褒められる?不思議な考え方だった。しかし、苦手な勉強のところ、科目は思いっきり怒られるため褒められた記憶よりもなんで出来ないの?と言われるのは我慢できなかった。

③母の言いなりは、その後も続いた

一見して仲の良い家族、其の時は母に従うものだと思っていたから。

それで平和なのですから。

これが中学校へ入ってからはもっとエスカレートした。

それがエレクトーンと部活の事につながるのである。




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