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50過ぎてウエデイングプランナーになりました。

50歳過ぎてトライした私の心境を紐解く

大方の人は、50過ぎたら、守りの姿勢になるのだろうか?

人生100年時代と言われているけれど、実際の世の中は、50過ぎたら、おじさん、おばさんには、挑戦する場が減っていくものだろうと思う。年令問わずとは言うけれど、さほど余裕のある状況はない様に感じるものだ。

そして、いつもいつも私は言われてきた。

何で今頃始めるの?

若い人と一緒っていい?

おばさんでしょ?

今更やってみたって・・・・。

いつもいつも元気で一生懸命だね。

と言う感じなのである。

そう言う中で、なぜかやってみたくなったウエデイングプランナーの仕事。

その心境を考えてみた。

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プランナーを目指したきっかけ

思えば6、7年になるのだろうか?もっと前なのかもしれない。

私は司会者の仕事をかれこれ20年やってきた経験がある。まさか、ここまで続くとは正直思わなかった仕事である。アナウンサーになりたくて、喋りの仕事なら何でもいいと、そんなきっかけで始めた仕事である。ましてウエデイング業界に入りたいとは全く考えていなかった。ただ、司会といえば婚礼がメインということになるのが、司会の世界の常識?

そういうことで、婚礼の司会者として仕事をしていたわけである。

司会の仕事が好きかどうかは、ここで語ることではないのかもしれない。しかし好き嫌いは多少なりとも影響しているわけで、その想いがなかったら、ウエデイングプランナーになっていなかったかもしれない。

なぜプランナーに?

一番の理由は、縁の下の力持ちになりたかったから

二番の理由は、あるプランナーという立場の人に、ミスを押し付けられて結局全て私が悪いということで責任を取らされたこと

二番目の理由が何ともいえませんが、ここは結構大きい理由でもある。

そして三番目の理由というものも実はある。

これは、プランナーの勉強をしたから、司会者だから、喋ればいいのではない、ウエデイングのこともしっかりと知らないと、プロとはいえない。そうアドバイスをしてくれた人がいたからなのだけど、案外この勉強が後に大事だと思えるのだから、人間ってきっかけいっぱいあるものなのだ。

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思えば、すでに40代後半だった

理由は3つあるが、すでにその時は40代半ば。これってこの時点ですでに誰よりも遅いのである。

しかし、ウエデイングプランナーの仕事って、私が司会を始めた頃にはなかった職業である。これは結構驚きの事実と言ってもいいかもしれない。だから、30代で司会を始めた時には、目指そうと思っても、無かったのである。

ただし、結婚式場やホテルなどには、婚礼を扱う仕事はあった。宴会担当の様な感じと言ってもいいかもしれない。その頃なりたかった?と言われると全く感じないほど、そして、思い出すほど印象に残っていないのである。

となると、必然的に目指すのは40代半ばになってしまうのであろう。

誰よりも遅いスタートが、私らしいと思う。

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