見る側にとっての唯一のバーチャル蠱毒

 昨日から今日にかけて、バ蠱毒について色々あったようだ。私の中の何かが書けというので今しかないと思って書く。

 あの時、勝ち残れなかったら死ぬという視聴者の信仰がバーチャル蠱毒を存在させていた。

 当時、私はVの者には中の人などいないという捉え方をしていた。中の人を詮索することは表立って行うことではなかったし、私はタブーだと考えていた。だからこそ、その姿一人一人に人格が宿り、実在性を高めていたのだろう。それが私の楽しみ方だった。

 そんなところにバ蠱毒が始まって、なにかでぶん殴られたような衝撃を受けた。馬鹿じゃないかと思ったものだ。文字通り、勝者以外はみんな殺される蠱毒じゃないか、と。ふたを開けると思った通り、生き残りをかけた札束での殴り合いが起こっていた。

 当時は、そう信じていた。

 私たちはバ蠱毒に対して知らないからこそ本気になれたのだ。あの頃の姿は人格とセットであるもので、只の景品ではなかった。今や中の人は別な姿で転生することがわかってしまった。「蠱毒」ではない、ただの「オーディション」という名前がついていることを知ってしまった。あの頃の壮絶さはそれを知ってしまった以上、もう、感じることはできない。


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