汎用性の高い言葉は人を傷つける
頑張れ、可哀想、、、どちらも誰もがその意味を知った気になっていますが、その汎用性の高さから、誰かに投げかける時には本当にその言葉を使うのが適切か考えなければいけないと思います。
特に後者を言われて嬉しい人はいないと思います。なぜなら可哀想って、その言葉を向けた相手を無意識のうちに下に見て、哀れんでいるからこそ出る言葉だと思うからです。あくまで私の解釈ですが。
(山田詠美さんの『ぼくは勉強ができない』の中にもかわいそうという表現について語られている場面があります。どのあたりに書かれていたのか忘れてしまったので、ここではご紹介できませんが、思い出し次第追記できたらと思います。)
私は小さな頃から人の言葉に敏感で、傷つくことが多かったように思います。何より相手が悪気なく言っていることを知っていたからこそ傷ついたものです。だからこそ言い返しようがなく、いつもやるせない気持ちになっていました。
でも、私の周りの数少ない優しい思慮深い人たちがくれる言葉が、私をやるせない感情の淵から救い上げてくれているような気がします。今までも、そしてこれからも。
本当に言葉は不思議ですね。英語の勉強をする日本人は多いですが、改めて母語を見つめ直すことも必要だと感じました。
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