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カルピスの名付け親はお坊さん

季節の変わり目は、暑くなったり寒くなったり、毎日気温が変わります。温めても冷やしてもおいしい飲み物が重宝しますね。
たとえばカルピス。誰もが子供の頃から親しんでいる国民的ドリンクです。
ところで、カルピスってどんな意味か知っていますか?

カルピスは、「カルシウム」とサンスクリット語の「サルピス」を合わせた造語です。
「サルピス」とは、牛乳を五段階に精製するうち、四段階目にできる「熟酥」のこと。

仏教経典『大般涅槃経』に「五味」として紹介されています。

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『大般涅槃経』

仏教の五味とは

牛より乳を出し、乳より酪(らく)を出し、酪より生蘇(しょうそ)を出し、生蘇より熟酥(じゅくそ)を出し、熟酥より醍醐を出す、醍醐は最上なり。-仏教経典『大般涅槃経』より

なにやら目が泳いでしまいますが、つまり牛乳は精製するにつれて
  1. 乳
  2. 酪
  3. 生酥
  4. 熟酥
  5. 醍醐
と変わっていくとのこと。乳製品の最高級の風味といわれる「醍醐」から、「醍醐味」という言葉が生まれました。

三島海雲氏

カルピスを作り、名付けた人は、三島海雲(かいうん)氏 [1878~1974]。
名前からわかる通りお寺の息子さんで、13歳で早々と僧侶になったそうです。

でもなぜ、お坊さんがカルピスを? 不思議ですね。

時は明治時代初め。鎖国が終わった日本では、海外と肩を並べるためにエリート僧侶の養成校が作られました。
海雲はそこを出て英語教師になり、そののち起業家となってモンゴルに渡ります。

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28歳の三島海雲


学校でグローバルな視野を身につけたのかもしれませんね。でも実家のお寺では、跡継ぎの転身にびっくりしたことでしょう。

謎の液体

慣れない異国の地、モンゴルで体調を崩し、ダウンした彼を救ったのは、謎の白い液体でした。現地で勧められるがままに飲み続けたところ、胃の調子がよくなり、持病の不眠症まで改善されます。

その白い液体は、羊の乳を乳酸菌で発酵させた酸乳でした。
子どものころから病弱だった彼は、酸乳にたいそう感激し、日本でも健康になれる乳製品を開発しようと一念発起。
帰国後、試行錯誤の末に作り上げたのが、カルピスだったのです。

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1919(大正8)年発売当時のカルピス


1919年に日本初の乳酸菌飲料として発売され、2019年に100周年を迎えたカルピス。あの「初恋の味」は、おばあちゃんやひいおばあちゃんも飲んでいたんですね。

生涯、人のため、平和のために

カルピスで財を成してからも、海雲は実業家らしからぬ無私の人としての行動を続けました。

たとえば、
・第一次世界大戦後、敗戦国のアーティストの困窮ぶりを知り、カルピスのポスターデザインを世界規模で公募しました。一等に選ばれたのはドイツの画家でした。

ほかにも、
・関東大震災が起こった翌日から、被災者に冷たいカルピスを配って回ったり、
・第一次南極観測隊の発足時から、カルピスを寄付し続けたり、
・前の東京オリンピックの選手村で、選手たちにカルピスを配ったり、
・全国の幼稚園・保育園に、カルピスと絵本を届ける事業を毎年続けたり

と、さまざまな慈善活動を行っています。
どれも宣伝ではなく「おいしいから飲んでもらおう」という彼の意向によるものでした。

カルピスと仏教

ビジネスマンでありながら、自分の財産を投じて世に役立つ研究に資金援助するなど、いつも施しの精神で動いた海雲。
喜びや苦しみを人と共有することが大切だという彼の考えは「自他一如」という仏教の考え方と一致します。
カルピスの名前にサンスクリット語を入れたところからも、彼が仏教精神を生涯持ち続けたことがわかります。

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海雲水稲山教学寺(浄土真宗本願寺派)天文元(1532)年建立

ブッダの生誕を祝う花祭りの時には、ブッダ像に甘茶をかけるならわしですが、最近では子供に身近な行事となるよう、カルピスをかけてもらうお寺もあるそうです。

「人々に健康を届けたい」という純粋な海雲の願いから生まれたカルピス。
病弱だった彼が91歳まで社長を続け、96年間の人生を生き抜いたことが、その効果のなによりの証明ですね。
まさに「身体にピース」!

今は、コロナウイルスに打ち克つためにも、免疫力アップが大切な時期。
乳酸菌をたっぷりとって、健康第一でいきましょう。ボジソワカ。

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