新年の抱負 西武そごうの広告について思ったこと

あけましておめでとうございます。

新年を迎えて、ずっと腰が重くてやってこなかったブログを、書き始めようと思い立ち(思い立ったのは半年くらい前)、開設だけして放置していたアカウントをようやく動かすことができました。→はてなにしようと思ったけど、結果的にnoteへ移行しました。

基本的に、快楽が大好きな人間です。腰オモタイプです。有言不実行タイプです。

なので、やっとブログを書いた今日の私を全力で褒めつつ、ぽちぽち書いていきたいと思います。

方向性も全く定まっていないブログですが、唐突に書きたいなあと思ったのは、この記事を読んだことがきっかけです。

西武・そごうの元旦広告は、1980年の答え合わせ?

西武そごうのキレキレな元旦広告が、非難を浴びています。

・「女の時代」て何や。そんなもんいつ来たんや。

・「私の時代」て何や。「私は私」であることでうまいこといく世の中になってないから、今苦労してんねん。

・この広告のメッセージの主語はどこや。結局何が言いたいんや。世の中どうにもならないから女性が勝手に頑張ってね、ってこと?は?

批判の内容はざっくりこんな感じです。多分。

私は、正直この広告を最初見たときはなんか強い広告だなあ、と思っただけで特に内容について深く考えませんでした。女性の社会進出、またその弊害については自分の日常で感じられていることが少なくて、一般に語られる「女性の生き辛さ問題」には世間より少し疎いところがあります。仕事上、同じ部署内に女性がめちゃめちゃ多いので余計に疎いのかもしれません。

まあとにかく、『「わたし」の個性を表現できる社会を、百貨店の商品やサービスを利用する女性を通して作っていきたいと思ってます』っていうメッセージを強めに表現したのかなあ。と、それくらいの感想でした。

ただ、「なんで西武そごうがこんなこと言うてんのかなあ」っていう違和感だけはちょっとありました。

西武そごうってなんかやってたっけ?

伊勢丹はお正月3日まで休みます作戦発表してなかなかうまくいってないけど、あと高島屋は去年新館オープンさせて脱百貨店みたいなことやってるけど、西武そごうってなんかやってたっけ・・

だから、広告自体は何も思わなかったけど、広告がピンとこないというか、これ、だれが考えたんやろ。なんか強くて気持ち悪いなあ。っていう変な感覚がありました。

それだけだったんですけど、その後半日くらいでボーンと炎上してました。

Twitter見てたらいろんな意見があって、主に時代を捉えられてない、主体性のないメッセージと暴力的な広告に対する批判でした。それらを読んでいて、広告制作会社ではなく西武そごう側に見える問題点について勝手ながら考えを巡らし、自分の仕事に通じる問題点でもあったので、少し意見を述べて、ついでに自分への戒めとしても、ここで抱負を語ろうかな、という気分になりました。

文章が長いですね。もっとまともな文章を書けるようにこれから頑張ります。

ここからは完全に個人的な意見と個人の抱負のはなしになります。個人的な意見を晒すのは、間違ってたり無知を晒す可能性がすごくあって怖いのでとても苦手だけど、せっかくブログをはじめられたので、思い切って書いてみます。


私はとある食品メーカーであるブランドの商品企画の仕事をしていて、この仕事をするようになってから1年半くらいが経ちます。

昨年は本当にいろんなことを経験させてもらえるようになって、その中で、担当するブランドのチームメンバー3人と、東京の広告制作会社のチーム5名で一緒に、ブランドの来期のメッセージについて考える機会がありました。

普段、基本的に社内で完結する仕事ばかりしているので、社外の人と、特に広告会社の方とお話しする機会なんてこれまで全くなく、その機会をとても楽しみにしていました。

来期のブランドメッセージについて、こちらからプレゼンさせてもらったり、協議したり、提案をいただいたり、そのようなやり取りの末にひとつのメッセージとキービジュアルが作られていくのですが、最後の最後できたコピーに、なんとなく違和感というか、これじゃない感が残りました。(個人的に)

コピーが先鋭的すぎて、顔が見えない感というか、主語が迷子になってる感というか。もちろん、ブランドメッセージなのでブランドが主語なんですけど。なんとなく、コピーのメッセージ性が強くて実際の商品やサービスがそれに伴ってないから、あまりにもピンとこない表現になっちゃってるような気がしました。

だけど、それが自分だけの違和感なのか、チームの他の2人も抱いている違和感なのか、そしてそれをお伝えして良いのか分からなくて、「まあ、ここまでやってきて考えてくれたものやしな・・」っていう気い遣いみたいなものもあり、結局、そのことについては言わずに、そのまま合意となりました。

そのような結果になってしまったことは、先方さんというよりもこちら側にあかん要因があったのではないかと思っていて、それは、社内のなぁなぁなコミュニケーションの中で仕事をしてしまっていることとか、上下関係みたいなものが少なからず存在していて、上の人に進言できない問題とか、そういう中途半端な状況の中で普段の業務を進めてしまっていることに、全て原因があるんじゃないかな、と思ったんです。

そして何より、ブランド担当である私たちが、メッセージやブランドの根幹を相手に伝えられる形で持っていないことが、一番の問題点で、結構深刻な問題だな。と思いました。今は大企業という看板の下どうにかやれてるけど、この状態が続くと、いつなくなってもおかしくないブランドになるな。という危機感を抱きました。

今回の西武そごうの広告について感じたことは、主体となる西武そごう側(セブンアンドアイなのかも)が、どこまで自分たちの会社を、立場を、ブランドを、理解してこのメッセージを世の中に投げたのだろうかということ。

もしかしたら、自分のことを自分で理解していないために、もしくはそれを表現する施策を持っていなかったために、広告制作会社側に伝わりきらず、結果的に主語がわからないメッセージになってしまったのではないかということ。そしてそれが外に出た時点で、会社やブランドの信頼を失うには充分であるということ。※今回の西武そごうのコピーはなんとなく、広告制作会社側の意思を強く感じました。コピーが発している「わたしの時代」というメッセージの好し悪しについては、個人的には特に何も思わなかったのであえて言及はしません。

このことを通じて、私自身、少し身の引き締まる思いになりました。

今年は、来年こそ納得に近いメッセージを作れるように、今年感じた違和感の芽を摘んでいく年にしたいです。

幹を持ち、確立させるにはまだ少し時間がかかりそうなので、幹を持つための立ち回り方や、仕事の仕方を少し変えたいと思います。そして仕事以外でも自分の幹をしっかり太くさせるために、noteを書いて考えを整理したり、資格取得に向けて勉強したり、少しずつ行動していく年にしたいです。

昨年は、「動く歩道」の上をジグザグに、全力で走っているような感覚でした。業務に追われ、月日は流れ、気づくと次の歩道が目の前に来ています。

好きな仕事をさせてもらっている、という感謝と、謙虚な気持ちを忘れずに、できるだけ怒らず(すぐ怒るしイライラするのほんと良くない)、動かない歩道を自分の力で歩けるよう、充実した1年にしたいと思います。

以上です。

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