進路に迷ってる話

こんにちは。久しぶりにnote復活です。

最近考えたことを書きます。



最近はコロナウイルスの感染拡大に伴って外出自粛をしている。ずっと家でYouTubeやTwitterを見、昼寝をし……などという無益な毎日を重ねるわけにはいかないので、大学を卒業したあとのことについて真剣に考えている。大学3年になり、就活の準備もぼちぼち進めなくてはならないので当たり前のことではあるが。


私は現在、某国立大学教育学部の3年次に在学している。教育学部に進もうと思ったのは、中学生の時に教師になることを志したからであり、その当時も高校3年間も、そして大学1年次でもその気持ちが変わることはなかった。しかし、高校生の時にお世話になった方の言葉や大学1年次の一般教養の授業によって、決して揺らがないと思っていた夢が揺らぎ始めた。少し焦った。



「教員は『教員の世界』にとどまっているから視野が狭くなる。教員の当たり前は世の中の当たり前ではないかもしれない」

かなり前の言葉なのでニュアンスでしか書けないが、これがすごく刺さった。もしかして、教員1本でこのまま進んで行ったら、子どもたちに「教員の当たり前」を押しつける教員になってしまうのではないか、と思ってしまった。そして、幼い頃から社会人になるまで「学校」という空間しか知らない大人が、これから社会に出ていく子どもたちに必要な「生きる力」をつけるための指導ができるのか。こんなことを考えてしまった。


更に、私が通う教育学部は他大学の教育学部とは違い、所謂「ゼロ免課程」と呼ばれるタイプの教育学部である。そのため教員免許の取得は必須でなく、卒業後は民間企業に就職する人の方が多い。

加えて、開講される科目も多種多様で、例えば数学教員になりたくても必ず理科の単位をいくつか取得しなければ卒業できないし、文系の要素が強い英文学や法哲学、観光学についてもある程度の内容は履修する必要がある。(これが弊学の特徴であり、魅力だとも思っている)


そんな中、一般教養の授業で教育学以外にも自分が面白いと思う学問があることに気づき、初めて「教員にならない自分」を想像した。教員にならないで、民間企業に入り、それから教員になるという選択肢が生まれた。迷う。今、人生最大の迷いが生じている。


闇雲に将来について考えていても埒が明かないので、どうして教員になろうと思ったのかを考えてみた。

中2の時の職場体験で○○先生!!と駆け寄ってくる子どもたち。先生のおかげで苦手を克服できた経験。忌み嫌う対象から相棒へと変わりつつある数学。憧れの先生の存在。憧れの先生は憧れの大人でもあったから、そんな風に「誰かの星になりたい」とも思った。そして、「先生ありがとう!」とハイタッチしてくれた子の笑顔。模擬授業づくりの楽しさ。何よりも、学校という場が大好きであること。

今の進路も誰かに言われて決めた訳ではなく、自分の意思で決めたもので、そこに「何となく」という言葉は存在しなかった。


ただ、教育学部で学ぶうちに教師を取り巻く環境の厳しさを知った。そして、教師への適性や自分が果たして教師になって良いものか悩むことが多くなった。せっかく選んだ職業なら長く続けていきたいし、教員という仕事を心から楽しみたい、なんて甘いことを考えてしまう。

そして、教育に携わることのできる仕事は教員だけではなく、裏方として教育に携わることもできる。(例えば教科書の出版とか)そのような仕事の面白さにも気づいてしまった。どうしよう。選択肢が多すぎる。


こんなに迷っているのは人生で初めてだ。そして、この迷いも教員を取り巻く厳しい労働環境を知ってしまったが故の逃げなのかもしれない。大好きだった学校がそうじゃなくなることが怖いだけなのかもしれない。


自分の進路を決めなければならない瞬間は刻一刻と近づいている。まだ実習に行っていないので、今の学校現場ってこうなっているのかな、という想像に頼る部分が大きい。ただ、どういう進路を選んでも自分が幸せになれるようにしたいと思う。


(長々書いてしまったけれど、まだ何にも知らない状態で教員という夢を捨てたくないので、今は覚悟を決めて教員になる道をひたすらに進みたいと思う)




                     









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