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watashi

なにを書き始めようか。自分の今のことについて綴ってみようと思う。

私は都内大学に通う学生だ。コロナの影響で学校は授業開始が大幅に遅れていて、バイト先は営業しているため今月外に出たことといえばバイトだけである。バイト先で働く人も少なくなり、コロナ下ではあるがそれなりに忙しく働いている。

ここまで書いて止まってしまった。自分のことを書いたり、自分の意見を発信するのが苦手である。同じような友人が先日ノートを始めたときき、なるほどと思った次第である。さきほど大学生と名乗ったので大学で学んでいることを書こう。

私は文学部で歴史を学んでいる。日本中世史である。中世史というとなにを思い浮かべるだろうか。足利氏、鎌倉幕府、執権北条氏、そんな単語が出てくるだろうか。わたしはそのなかでも室町時代と言われる、14世紀から15世紀にかけて学んでいる。私の学校では卒論のテーマがだいたい三年の秋に決まり、まだ決めていないが、一条兼良や彼の活躍した時代の公家の位置付けやその内容について研究したいと思っている。一条兼良は専ら日本文化の分野のほうで有名であるが…。

史学科を目指したのは、高校のときから歴史が好きだったこと以外に、日本史の一般書をいくつか読み興味が湧いたためである。今思うとすごく単純であったような気がするが後悔はしていないし、歴史が高校の時より更に好きになった。

なぜ人は歴史を学ぶのだろう。歴史学はなんの役に立つのだろう。

そんな漠然とした疑問が浮かぶ。もちろん明確な回答はなく、これはあくまで私の個人的な回答である。

歴史上の人物というのは案外身近である。高校の自分は中世に生きる人々はいかにも原始的で、電気もガスもなく、官僚制度など薄っぺらい程度だと思っていた。だが案外そんなこともない。しっかり、という言葉が正しいかどうかはゆだねるが、しっかりしているのである。地方官の制度や、銅の入手ルートが複数にもあり、下級官人や上級官人によって違うルートがあること、歴史というのは一遍等の見方でないこと。人間性が厚くなるだけでなく、思っているより歴史から学ぶことは多いのである。歴史学はいまの私たちの制度そのものを作っているのである。そう感じる。もし歴史学という概念がなかったならば、21世紀の私たちは狩猟と取集だけで生活していただろう。いま学ぶことで発展した未来を作っているのである。それは技術的なことだけでなく、勉強することを学んでいるような気がする。

これがいまの20代の私の回答である。卒業するころにはまた違った考えを持っているだろう。それが楽しみである。

今日はここまで。

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