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嘘つきってどこまでも嘘つき。

時に総合的、時に相対的に物事が思考、判断できない人間とは会話にならない。
最近これを私はひろゆき構文と呼んでいる。
言っていないことを勝手に行間を読み取って想像し、断定してしまう恐ろしい行動をとっていたりもする。

たとえば、
鞄の全体像について会話しているはずなのに、よくわからないのだがなぜかピンポイントをさしてそこにこだわり、執着し、わけのわからない証拠を出し始め、こちらに証拠がないから話を逸らしている、などと言い出すのだ。

そうして自分の都合のいいところだけをバイアスで切り取ってどんどん話をそらし続け…。

”全体の印象について問うているにも関わらず”



そもそも、わたしの Facebook を知ってる時点で古いブログの読者(的確な言葉が見つからないため仮に読者とする)だということはわかっている。
ヤフオクの詳細に案内していたのをきっかけに読むようになったことは想像に難くない。



それは古くからのお客さんも一緒かもしれませんが…今巻き込まれているケースは読むだけに止まっていないのです…。

ブログでは言いづらいことをFacebook に場所を移して注意喚起と協力と弱音を吐き助けを求めていた。
私はそれを逆手に取られた。

”私の Twitter (ブロックし、見られることを拒否しているはずなのだがなぜか見ている)、作品、を意識したことがない”と言っているらしい。
私が Facebook や  noteをやっていることを知らない人もいる中での発言だ。

本当に悩ましく毎日頭が痛い悩みだ。もう何年もストーカーまがいにつきまとわれている。

わたしは実験的に Twitter にnoteをリンクした。
その直後から自身のツイッターでの感想は始まったそうだ…。

”noteを書いてること”まで知っているようだけれど…どうしたらそうした発言になったのかは確認できていない。
切り取られたスクショからは断片的なものしか見えないからだ。

なぜ監視されなければならないのか。
作品を作る上での苦悩の一つとして切り離せないぐらい苦しんでいるからこそ書き記している。

そして…これも悩ましい。
ノートを読むと自身のツイッターで反応するらしいことを聞いている。

ずっとずっと。
今日まで。
ストーカーまがいなことされている。


彼女の言葉は私には全部嘘に聞こえる…。

”嘘だそんな…”
そこがポイントになり少しずつ自分の歩いてきた道を振り返る。
ひとつずつ思い出すたびにそこからさらに新しい嘘が発見される。

”昔からやっていました”

自分の記憶に間違いがあったかもしれないということだ。
そう疑って、その言葉の意味を探るために見たくもないものを見たりもした。
でも記憶に間違いはなかった。
探られては困るみたいで…申し訳ないけれど自分の記憶を疑っての行動だ。
嘘が拡散されても困らないようにするためのランドマーク。


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”時間を置いてあとからあとから”


振り返る自分の軌跡。
ノイズが入る。
心配してくれる人たちがたくさんいる。
それで十分なんだろう…。
裏を返せばノイズを信じてる人は一人もいないというわけで…。
それだけで十分なんだろう…。

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