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おもえばそれは夢だった

私の書いてきた歴史のなかで、大きなウエイトを占めているのは『詩』だ。
文章をみてもらっていたのも、主にポエム。そしてリリックスだった。

中学生からずっと詩を書いていたから、編集の方に声をかけられたときも、エッセイには全然興味がなくて。詩集なら出したいけれど、エッセイとは何ぞや、と思っていた。
今こんなに書いていることに自分でも驚くけれど。


縁あってその出版社が発行する紙媒体での本に、2度ほど作品が掲載されたことがあるのだが、皮肉にも最初に掲載されることになったのは、当時言われてひとつだけ書いてみたエッセイだった。
たくさん詩は書いていたのに、正直 報われないと感じた。


同じころ、リリックスという存在を知って日本脚本家連盟が行う作詞コースへ登録し、課題を提出しては添削を受けていた時期がある。プロの作詞家の先生に師事していた。年に数回、勉強中の人たちの作品集のようなものが作られるのだが、そこにも私の作品は全く掲載される気配はなかった。

ダメ出しばかりされ、書き方のきまりごとがあって、窮屈に感じることもあった。
年配の男性師匠だったので、私の書く詞なんて分からないよね、と開き直った。そうしないとやるせなくて。でも、この人が「いい」と思うものを書かないと作品集にすら載せてもらえないのだから、と認めてもらいたくてまた書いた。


もうやめよう、これで最後にしよう、と思って書いたその作品が、ようやく選ばれた。師匠の傾向と対策を分析して仕上げた作品だった。
正直、書きたいものと求められるものは違う、と感じた。
結局やめたので、そのたったひとつだけ。曲はつくことなく終わった。

今までずっとずっと書いてきたものは報われず、こんなものかな、と道を閉ざした感はある。(のちにライターをするうえでは役立つ経験だったとは思う)

今回の『DEAR GIRL』のことがこの上なく感激したのは、これって一時期追いかけていたものだった、と思い出したからだ。
そして、自分が感じて書きたいものを そのまま言葉にした歌詞に曲がついたから。

🎹

※初めて見る方もいらっしゃるので、動画を追記しました

🎹

莉央さんのCDが届いた。
以前作られていた3枚を送ってくださった。(トップ画)
ここ一週間余り、ずっと聴いている。

日常を切りとった言葉から、さりげなく心の機微へと向かう歌詞が巧い。そしてやはり歌声に癒される。聴いていると心が揺らぐ。震える。
クオリティが高い。



インディーズバンドばかりの追っかけをし、遠征している次女の言葉を思い出す。
「商業音楽ではないからこそ、自分たちのやりたい音楽を純粋にしているからこそいいの。心を動かすものがあるんだよ。」




今さらながら、音楽をしている人って、自分の歴史が目に見える形になって残り、
そしてふと口ずさんだりして、誰かの生活の中に根差していく。そんな活動なんだな。
音楽の力ってすごいなと、羨ましいなと、感じた。

そして、こんな素敵な人に作曲してもらったのかと感無量になる。


今回、曲がついたことが、エッセイやポエムが本に掲載された時よりも嬉しいのは、あの日追い求めて、そして諦めた夢が叶ったからなのかもしれない。

以前も書いたけれど、ポエムは作品、我が子のような可愛さがある。エッセイはとりとめもなく書いてしまう。力が抜けていてそっちのほうがいいと言われれば それまでだけど。

あの頃書いた何十編もの言葉の連なりは、今も ただ押し入れに仕舞いこまれたまま。
だからこそ、たった一編でも形になったことが嬉しい。

半世紀も生きてきて、時にこんなご褒美があれば、私の人生も捨てたもんじゃないなって思う。
莉央さんから送られてきたCDを聴きながら、出会えた感謝と幸せをかみしめている。

🎹

※更に追記をふたつ

①莉央さんから『そして、りえさんがずっと言葉を紡ぎ続けていてくれたから。』こんな嬉しくて泣きそうな言葉が届いたので記念にここに保存させてください。

②記事を貼り付けてほしいと要望があったので、『DEAR GIRL』~娘への想いを歌に~コラボレーションnoteはこちらから。
歌詞全文掲載しています。

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