文春野球コラムに代打で登場! 顛末記1

エピソード1 それは突然やってきた

4月のある日、わたしのツイッターアカウントにダイレクトメッセージがあった。朝方、まーくん(猫)に起こされる4時半くらいだったと思う。一回起きるともう眠れない中高年の性。ほんやりパソコンを立ち上げた時だった。

開けてみると、知らない人からだ……知らない……「えのきどいちろう公式お知らせ アカウント」 正確には、アカウントの担当者、吉岡さんからメールが来ていた。
 ー日々のツイートをえのきどが拝見しており、文春野球 ファイターズの代打として執筆をお願いしたいと申しておりますー

…………………(内容を解釈しようとする時間の表現)

一瞬で、わたしは覚醒した。原稿書けってこと? えのきどさんのチームで、ファイターズのこと書けるの?

ぎゃーーーーーーっと叫びたい気持ち。ひゃ〜〜〜〜〜〜っと飛び上がりたい気持ち、天にも昇るとか、舞い上がるとか、なんでもいいやとにかく、すっげーーことが、このわたしに起こったんだよお! くるくる回って踊りたかった!未だ暗い4月の午前4時半には、誰も起きてはいなかったけれど。

ネット上の雑誌ー文春オンラインの中にある、「文春野球ペナントレース」は、現実のプロ野球リーグ戦の対戦に合わせて、チームごとにコラムを書き、面白かった文につけられる「HiT」数で勝敗を争うという、斬新なスタイルのサイトだ。

わたしたちのファイターズは、えのきどいちろうさんが監督のえのきどチーム。今年のエースは、ファイターズdeナイトの斉藤こずゑちゃん。

かっこたるキャリアと人気を誇るえのきど節と北海道のファイターズファンなら誰でも知っている、「こず姉」のコンビは、最強といってもよく、開幕当初からパリーグの首位を走っていた。

わたしも毎回楽しみにして、わがファイターズの勝利のためにhitボタンもちゃんと押していた。そんな場所で、自分がコラムを書くとは想像もしていなかった。

いや、想像くらいはしていた。

なんてことFBでつぶやいていた。ただの願望というか、注文がくるはずもない想像だったのに。まるで、その声が聞こえてたのかと思うくらいのタイミングで、注文がきちゃったのだ。心底驚いたし、超超超嬉しかった。

わたしにとって、えのきどさんは、ファイターズのことを書いている以前に「ナンシー関を発見した人」だった。故ナンシー関さんは、80年代から2000年を迎える世の中に、大きな影響と足跡を残した稀代の天才「消しゴム版画家・コラムニスト」だ。

 この世で週刊文春と週刊新潮に、毎週消しゴム版画とテレビコラムを書いていた人間は、ナンシー関しかいない。ナンシー関が、40歳の若さで、この世から消えた16年前。テレビ業界における「倫理」というべきものも同時に消えた。それはナンシー関がたった一人で、ほのぐらい道に照らしていた、光だったから。テレビは、彼女のテレビ批評を失った間際から、ほどなく崩壊していく。

そんなものすごい仕事をしていたナンシー関さんは、年も同じだし、太めもメガネもカーリーも同じだった。今でも、一番好きな女性作家だ。(かんけーないけど男性作家は橋本治。いかにも80年代育ちですよ)

ナンシーさんを見出し、この世界に広めたのが、えのきどいちろうだという逸話は、神話のように、わたしの中にあった。その上で、ファイターズのファン代表的なコラムニストのえのきどさんがいる。

そんな人からあーた。

「この人に原稿書いてもらいたいと思った」

「ファイターズの勝利のために、小野山さんが必要です!」

て言われてご覧なさい?

マンガ評論で書く仕事をしてたことがあるとはいえ、最後の仕事からすでに16年は経ってしまっている、ただの中年、レジのおばさんにすぎないわたしが、舞い上がってしまったって仕方ないよね? そうだよね?

                かなり長くなりそうです。続く・・・。




 







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