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昭和、平成、令和を生きるー稀代の野球マンガ家水島新司引退ー本当にいろいろなことを思い出すー水島マンガにありがとうー

『釣りキチ三平』で一世風靡した矢口高雄さんが81歳で亡くなり、数日後に同年代の水島新司さんが引退を表明した。プロ野球の殿堂入り候補も辞退したとのことで何があったのかはわからないが「心境の変化があった」そうだ。(以下敬称略)

1972年、わたしは10歳。週刊少年チャンピオンで『ドカベン』は始まる。以降、2018 年『ドカベンスーパードリーム編』完結。わたしは56歳。山田太郎の野球生活は、46年間も続いていたことになる。

残念ながら『ドカベン』プロ野球編は、全然読んでいない。もう一方の長期連載1973年ビッグコミッックオリジナルで開始された『あぶさん』は、途切れながらも最終回まで読んでいた。2014年終了。だんだんペンタッチが軽く…というより弱くなって、引退時65歳のあぶさんも、霞のむこうの人のように白く明るく重みがなくなっていった。マンガの描線には、生命が現れる。不思議なものだなあと思いながら。

わたしが、少年マンガを読み始めたのは、記憶が曖昧で、小学校5、6年か中学生になってからか。一時期は、少年サンデー、マガジン、チャンピオン、ジャンプ、マンガ少年、少年画報(もまだあった)と全部読んでいた(同時に少女マンガ誌も網羅していました)いくらなんでも当時の小遣いで買えるわけはないので、立ち読みとか借りたりしていたのか、どうやって読んでたのかなあ…謎…。

『釣りキチ三平』も大好きで単行本も集めていたけど。「水島新司の野球マンガ」は、特に当時、にわかプロ野球ファンとなったわたしにとっては、マンガが先かプロ野球が先かってくらいにシンクロする思い出になる。

大好きだったのは、少年マガジンに載っていた『野球狂の詩』(『ドカベン』と同じ1972 年連載開始)。45歳のロートルピッチャー岩田鉄五郎。「にょほほほ〜〜〜」と遅いボールを投げながらバッターを翻弄する。「スラッガー藤娘」美男子玉一郎さん。そして言わずもがな「プロ野球初の女性投手水原勇気」(ユウキだね!)のドリームボール。

70年代の少年マガジンは、厳密に「少年誌」と言えるようなマンガ誌ではなかった。大人が読む青年誌に限りなく近い、境界線のない雑誌だった。当時は自分が子どもでプロ野球のこともろくに知らないから、ただ面白い!楽しい!玉様素敵!火浦さんかっこいい♡ と夢中になっていれば良かったけれど。『野球狂の詩』で描かれていた「プロ野球」は、ものすごく斬新で、革新的な試みがなされていたーのだと今ならわかる。

わたしの中の野球の見方、プロ野球への関心の持ち方は、水島マンガー『野球狂の詩』と『あぶさん』からの影響がかなり強いんだなと40年以上もたって改めて気がつかされる。まずもってパ・リーグファン。近鉄バファローズのファンで西本幸雄監督にファンレターを出す変な中学生女子。もちろん1970年代の北海道で近鉄の中継なんか一個もやってません。

巨人戦の中継が「プロ野球のテレビ番組」であってゴールデンタイムには毎日かかっていたが、父は阪神ファン(父のおじさんが阪神の選手だった)と名乗ってはいたけどアンチ巨人だったのであんまり見てはいなかった。ラジオの中継も巨人しかやってませんから。プロ野球が好きパ・リーグが好き、近鉄が好き!といったってほとんど「想像の世界」「空想の世界」…だったんだ。

情報の欠損を埋めるために「週刊ベースボール」も毎週読んでいた。週べや野球本で得る知識のせいで昭和のプロ野球史にやたらに詳しい女子中学生となり、青バットだの赤バットだの。周りに話の通じる友達は誰もいない(そりゃそうだろ)

そんな少女のプロ野球ファン生活の中で『あぶさん』は、数少ないパ・リーグ野球の情報源であり、ほぼ唯一その世界の物語〜ドラマを吹き込んでくれていた。

少年マンガに輝く金字塔ー野球マンガの象徴といえば『巨人の星』。大リーグボールー星飛雄馬と父ちゃん一徹は、マンガ界と野球界のレジェンドであった。だけどわたしは、当時も今も『巨人の星』を好きになることはできない。アンチ巨人だからか仕方ないよねって、それだけでは言い切れない。

ってこれまた改めて調べてみたけど。川崎のぼると梶原一騎の『巨人の星』が少年マガジンに連載されていたのは、1971年まで。ほとんど入れ替わりに水島新司が猛烈な勢いで少年誌の野球マンガを席巻していってたんだね…。

『巨人の星』は、マンガよりもアニメで人気が大爆発した。何度も何度も再放送され、カキーンだだだだ!という登場音、オモイコンダラ、タイヤ引きずり「星くん!」「伴〜〜!」がしっ!抱き合う、滝の涙表現。「俺は今、猛烈に感動している」名言ー明子ねえちゃんはこっそり木の影から見守っているー花形満は中学生なのにアメ車に乗ってるーなどなどの都市伝説を含んだーネタ物ーとして定着していった。それはそれでわたしも面白がっていたけれど。

実際の『巨人の星』は、貧困家庭の父による息子の虐待物語ですらあり、父の夢の実現のため戦い続ける飛雄馬は、様々な苦しみと悲しみの果て、アニメの最終回で肩を壊し(ひじだっけ?)マウンドから去る。いつのまにか監督となった父一徹の背に負われながら。

梶原一騎なんだからそうなるんだって! とディープなマンガファンなら簡単に言うかもしんないが(全ての梶原マンガは主人公を殺して終わる)。アニメまでそうなったって原作通りなのか、最後の方は読んでないのでわからないんですけどね。それにしたって暗すぎるでしょう。

一世風靡をしながら実質的には評価されず「面白ネタ」としてしか生き残れなかった『巨人の星」。 大メジャーとはいえないが、半世紀に渡り読み継がれ、現実のプロ野球との関係も途切れることのなかったー水島マンガー。

セ・リーグとパ・リーグの間に。深くて暗い川は、ここにも横たわっていたのか。

たまたまホークスファンの水島新司が、そこにいたからだったとしても。

そうして長い間、影になり日向になり、勝っても負けても、負けても負けても(『あぶさん』がはじまった1973年。南海ホークスは野村監督の元でリーグ優勝。その後は一度も勝てず、ダイエーホークスとして福岡に移動。さらに1999年まで優勝から遠ざかった)プロ野球を、ホークスを愛し続け、パ・リーグを応援し続けてきたマンガ家は、2020年の終わりに、そのペンを置くと宣言する。

日本シリーズで、ソフトバンクホークスが読売ジャイアンツを、2年連続四連勝と完全ノックアウトした年。

もう俺の役目は終わったー 

そう稀代の野球マンガ家が思ったかどうか。

知っているのは、野球の神様だけー。


水島新司先生、本当に長い間、面白いマンガを読ませていただきました。

ありがとうございました! 礼!


1年後に亡くなられました。哀悼ー















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